~あなたの心の安全地帯になれますように~
 

こころが温まる10の短篇

I learned not only English but also much about love.

To be specific, I learned about love of neighbors, love of family and friendships.

Reaching out a  helping hand to people those who deeply discouraged by suffering and sadness changes their mindsets and lives.

And then, I felt that this love will be inherited over generations. But it is not easy, because we may misunderstand and hurt each other.

However, people would enhance their ties when they overcome these things.

 

本のタイトル:お勧本の紹介を追加しました

デフォルト画像

著作者名:サラ・ブレーク

出版社名:IBC パブリッシング

感 想:

関連記事
 
9月 9, 2026

Voice No.67~74を追加しました

<Voice.57~No.64 20222年1月1日~1月16日>

〈Voice.57〉『開けなさい』

この声は、不思議だった。今朝、初日の出に向かい祈りを捧げていた時に、低い声で囁やくように聞こえた。「あけまして、の挨拶⁉️かな?」、違う気がした。この声の意味を考えながら、缶詰め状態で修論のラストスパート😅 夕方くらいに、ふと「自らを開いていきなさい」という意味かなと思えた。 『色々な方向に、色々な人々に自らを開いていきなさい』と神様が言ってくださっているように感じた。でも、私には 『開けなさい(あけなさい)』と聞こえた。確かに😌これは、きっと「自らを 開け渡しなさい」と言うことかもしれない。なかなか難しいなぁ。ただ、そういう生き方をするように導かれているのかも。欲望や執着にまみれている自分を 開け渡し、惜しみなく開いていくこと。そのように日々、丁寧に修練しながら 生きることで、何か味わい深い心持ちに 出会えるかもしれないなぁ🍀 うんうん、焦らす、ぼちぼち、自分を 開いていこう😊 あなたも、あなたを導いてくれる声に 出会えますように❣️ 皆様、改めまして あけましておめでとうございます㊗️ 本年もVoice 共々宜しくお願い致します 🙇‍♀️ 皆様にとって、素敵な一年になりますように💕

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice. 58〉『もう、慣れました』

この言葉は時折耳にする。この人は、慣れるまで結構大変だったのかなぁと思う時がある。『もう・・・』と言う言葉が 鍵の様な気がする。例えば、『もう、いいよ』と言う時は、『もう』の中に、『色々あったけどね』『十分だよ』または諦めの気持ちを抱いている場合もある。では、『もう、慣れました』は? きっと、そのことから逃れられない状況、始めての事でやり方も難しく、なんどもやったこと、ひたすら忍耐しなければならない状況などのプロセスを経て 『もう、慣れました』となる気がするなぁ😌だから、『もう、慣れました』は 人間の順応力、適応力、努力、積み重ね、忍耐、などなどの素晴らしい側面を秘めていると思う。 ただ、懸念する部分もある。慣れてしまい当たり前に、または習慣化すると、人間はそれまでのプロセスを忘れたり、 盲目的になることだ。すると、秘めた力や感謝の気持ち、初心を忘れてしまう。あとは、『慣れるのが、望ましくない 状況がある‼️』ことも忘れないでいたい!いじめ、DV等の環境下に置かれている人々のこと。その様な環境に慣れてしまわないとそこでは、生きていけない。そんな環境に慣れなくても良い社会にしていきたいなぁ。 これから先、『もう、慣れました』と言う声に出会ったら、その人の努力、積み重ねなどを労い、その人の秘めた力を共に喜びたいなぁ。そして、初心や感謝の 気持ちを忘れないように、自分に語りかけていきたい😊 『もう、慣れました』はお互いの沢山の秘めた力に気づかせてくれ、初心にたちかえらせてくれるVoiceだな😉 あなたが、自分に対して『もう、慣れた』と思った時は、それまでの自分を認めて労って欲しいなぁ🍵そして、互いの秘めた力に気付き、喜びあえる出会いがありますように。

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.59〉『バカァ−、バカァ−』

これは、カラスの鳴き声。『カァ–、カァ–』と鳴くことは、少ない気がするなぁ🤔愛犬の散歩中、洗濯物を干しているなど、よく聞こえる。この鳴き声に馴染んでいる。以前は、この鳴き声を聞くと内心、「どーせ、私はバカァですよ❗️ふん!💢」と思ったり、「カラスにまでバカァと言われて、惨め😥」と自己嫌悪になったり、なんとまぁ、内心色々と忙しかったこと!😁でも、カラスは私の心境など知ったこっちゃ無い。カラスは勝手に鳴いているだけ。聞く側の方で、その時の気分や状況、心境で 受け取りが変わっているだけ😌不思議だなぁ(^^) 最近の私は、この鳴き声を聞くと 「カラスも元気な声だなぁ!うんうん、いいぞ。」となる。そしてある歌を口ずさむ・・・♪「わたし馬鹿よねぇ~ お馬鹿さんよねぇ−♪ 後ろゆーび、後ろ ゆーび サーされてもー♪♯」そして 1人で受けて、ほのぼのしているのだ😙 なんて、天然⁉️😅でも、今の自分のほうがチョッピリ好きだなぁ🥰

そうそう『これでいいのだ!』👏✌️ 折角、色々な声を耳にして感じとるなら、耳触りの良い方に感じたい。 今日も3回、違う時間にこの声を聞いたよ。カラスは寒い中でも、今日も元気! よかよかねー☺️ あなたも耳触りの良い、ほのぼのした Voiceと出会え、心が温まりますように🌺

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.60〉『負けて勝つという生き方もあるのよ』

これは、10年前に歳上の女性Kさんが言ってくれた言葉。当時、コミュニティーの中心的な役割を担い、あるプロジェクトを進めていた。メンバーの中に、私が1番嫌いなタイプのご婦人がいた。 ①猫撫で声で話す ②金持ち、社長夫人を鼻にかける ③手はださず、口だけだす ④言いにくいことは、全て夫に代弁させる ⑤手柄は欲しいが、自分では何もしない ⑥自分中心の語りなので、何を言っているのか周囲には伝わらない ⑦肩書きとプライドにこだわる とまぁ、本当に嫌だった。こんなに、列挙して、神様ごめんなさい🙏本当にこの様な人だった。私と意見が合わないと 「お宅のご主人は、どうなのかしら〜?」と。夫は、直接関係ないのに! ある時、私が悪くないのにその人に謝らないと事が進まない状況にたった。🤣 胃がキリキリ、謝りたく無いし、謝る必要もない。まして、嫌いな相手で、尚更だった。しかも、その人は完成に被害者意識満々❗️ 私の心は「筋がちがう!道理がちがう!」などの思いで溢れていた。でも、謝った方がいいんだよなぁ。と葛藤の渦🌀。

そんな時、いつも冷静な歳上の女性が、「負けて勝つ生き方も あるのよ。謝っても大丈夫、皆、平さんのことわかっているから」と、私に言ってくれた。「カッコいいー!そうか、そういう生き方があるんだぁ!」とモヤモヤしていた霧が一気に晴れるような心境になったのを今でも覚えている。謝ることができた。悔しさよりも、そう出来たことに、清々しさを感じた。ありがたかった❗️このことは、その後の私の生き方を強く後押ししてくれた。

それからの私は、違う場面でも嫌われ役、鬼役もあまり厭わなく引き受けられる様になった。「四十にして惑わず」と言う生き方を教えてくれた。といいながらも 惑っているけどね😄 あれから、10年以上を経て今は①から⑦のタイプの女性と出会っても、余り嫌気は感じない。個性だと思う。そして、この①〜⑦は、私に無いものばかり。男性に甘えられるその人が少し羨ましいと思っていたのかも。そういう人には、 「貴女から伝えて、私より、いいかも」と関われるようになっている。少し、成長したかなぁ。そして、今は他者にたいして「勝ち負け」の意識は殆ど無い😊 結局、勝ち負けの相手は己自身だと色々な人々や書物、体験から教えて頂いた。 だから、闘いを挑むのは、自分自身に対してなのだ。 今はKさんとそのご婦人に感謝している。「負けて勝つ」は私の視界を切り開いてくれた力強いVoice💪

あなたも視界を開かせてくれるようなVoiceと出会えますように😊 今日は雪が降りました。皆様、色々と お気をつけてくださいね☃️

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice. 61〉 『頑固な汚れみたいなやつ』

これは、若い頃にある人から言われ こと。当時、同世代の男女仲間でよく 連んでいた。仕事の話し、趣味、等の話をよくした。仲間の男女は、私を除いて、カップルだった!何故かそこに 私も自然に加わっていた。お互いの愚痴を其々聞いたこともあったなぁ。懐かしの遅めの青春時代😅 男子連中は、異口同音にして、私に 『お前とは、気楽にいれて、話せていいよ。なんせ、女に気遣うのも疲れるぜ』 みたいな?ことを良く言っていた。 『まてまて!私も、いちおーう女だけどさぁー🤣』と返すと即答で『無理すんなよー。いーって、無理に女と思わなくて。俺ら、そう見てねぇーから😁』と。なんとまぁ、失礼な❗️仲間の女子も賛同している。そう、当時から『中性的だよな。気を使わなくていいよな』と 言われていた。心の中では、『もう少し、気遣ってよー』と思うこともあったなぁ。そして、自分がどんな存在なのか 気になり、聞いた。すると、1人の男子が『お前か?そうだなぁ。頑固な汚れみたいな奴だな』と。耳👂を疑った。私が『頑固な汚れって❓どーゆーこと』 すると、他の仲間も『わかる!』となんとまぁ、意気投合していた。 『お前と関わったやつは、お前の事、 絶対忘れない!記憶にこびりついて、 そう、頑固な汚れみたいに』と言われた。当時は、ややショックで少し凹んだのを覚えている。それからTVのCMで 「頑固な汚れにザブが効く♪」と言うのを見るたびに、心の中で「私にはザブは効かないの」と呟いていたなぁ。 あれから、約25年以上が経つ。仲間も 其々家庭をもち、沙汰無し。仲間は私に 言ったことなど、忘却の彼方だろう😅 私は、折にふれてこのことを思いだしていた。 最近、この『頑固な汚れみたいな、』を 思い出すと、嫌な気持ちがしない。不思議だなぁ。何となく私の存在を肯定して くれているように感じる。我が家の中の頑固な汚れを見るたびに、「私みたい、こびりついてる」と思い、プフッと吹き出す😆「頑固な汚れ、なかなか良いじゃん❗️」と思えるのだ😙親しみを感じる。変かなぁ。でも、確かに、私の存在は否定されていなかった!と思える。

皆様、私は灰汁が強く、頑固な汚れみたいな人ですよー。きっと😃。子どもの頃からスカートを履いていても 「ぼくー」と呼ばれていたのを覚えている。中性的、OK🙆‍♀️、中性洗剤は、頑固な汚れに効くかなぁ⁉️✌️

あなたも、あなたの存在を肯定してくれる仲間に出会えますように😌 でも、頑固な汚れでなくてもいいよね!

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.62〉 『私達には、人を傷つける権利は無いのですよ』

数年前、傾聴のスーパーバイザーから 言われたこと。「ハッ」とし、私の心に 刻まれた。私が傾聴した時に、相手から 急に怒鳴られ、ずっと罵倒され続けた。 その時間は、約50分位だったと思う。 相手のAさんは、兎に角、マシンガンのように怒鳴り続けていた。相槌を返す隙も無かった。「何黙ってんのよ」から 「その返事は何💢」と、そして、わたしを貶し続けた。どうやって話を終えたかは記憶にない。何故、こんなに罵倒されなければならないのか!私が何をしたのか?しかも、初めて会った私に。結局怒りの矛先は、私以外に無かったことを 後から気づいた。私はAさんに100倍返しをしたいくらいの心境で、その感情を 抑えるのが、精一杯だったなぁ😌その思いをスーパーバイザーに打ち明けたら 『私達は、人を傷つける権利は無いのですよ』と指導を頂いた。確かに。自分が傷つけられたからと言って、その相手を傷つけて良いことは無い。でも、その時の私は、内心「道理は、分かった。じゃあ、私の傷は?どう癒すの?」と言うやり切れなさと腹立たしさが残った。それから、色々と考えて、自分が傷ついたり、不快に感じた時は、冷静に「あなたの言い方は、きついです。そんなに怒鳴られたらお話しは聴けません」と伝えるようにしている。人間対人間なのだから、そう伝えでも良いと思う。これは、ナースと患者、教員と学生間でも同じだと考えるようになった。生きている限り、自分が相手を傷つけないと言う保証はない。故意に傷つけるのは、良くないが知らないうち、気づかないうちに相手を傷つけることはある。それは、人との関わりで認識しておく大切な前提だと思うよ。一方が、我慢し続けることではないよなぁ。

では、自分が傷ついたらどうする? まずは、傷ついたことを認めて、 ヘルプや癒しが必要で求めて良いと認識すること。状況によっては、自分が傷ついたことを認めるのは、とても辛く、エネルギーのいること。だから、人はその傷を感じないようになったり、回避する 自己防衛が働く場合が多い。衝撃が強い時は健忘となることもある。それを放置すると悪夢やフラッシュバックという形で現れることもある。そうなると、辛さや大変さが増す。だから、早めに癒すことが大切かなぁ。心の傷を癒すには、まずその傷ついた自分を認めることが出発点だとおもう。認める段階で大変な場合は、その時点からヘルプを求めていい。ヘルプや癒しを求める時に傷の詳細を無理に話す必要はないと思うし、求められる側も無理に聞き出す必要は無いよね。「今、傷ついて悲しい、辛いの」と。「伝えてくれて、良かった。そうなんだね」と、沈黙があってもいい、優しく温かいブランケットのように 包んで欲しいなぁ。 自分が人を傷つけたことに気づいたら 素直に謝り、心の中でも手を合わせていきたい。

もし、あなたが傷ついたら、自分を卑下せずにあなたに相応しいヘルプと癒しを 求めていいんだよ。 もし、あなたが誰かを傷つけたとしたら 自分を責め過ぎずに、心から謝り、日々手を合わせていけばいいんだよ。赦される否かに拘らないでね。「赦して欲しい」に固執すると、自分のその思いが優先し、相手の思いに心が向かなくなるから、本末転倒になることがあるよ。赦しされるかは、相手の問題で未知のことだから。人は、互いに「癒し、癒される存在」であると同時に「傷つけ、傷つけられる存在」でもあるよね。コインの裏表のようだよね☺️。

Aさん、あなたから受けた傷は、まだ癒えていません。でも考える材料を沢山頂きましたね。あなたの怒り、憎しみ、不満が少しでも癒えて、心に安寧が訪れますように🙏

 

あなたに「癒し、癒される存在」となる 関わりの輪が増えますように❣️

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.63〉 『私的には、頑張った』『うちら、頑張ったよね』

これは、専門学校の専任教員をしていた時に、学生さんがよく言っていたこと。その頃、世間では「only one」捉え方が普及していた。SMAPの「世界でたったひとつの花」が大人気。いいことだなぁと思っていた。でも、当時の私は「自分が頑張ったか否は、他者が評価し、感じること!」と確信していた。『私的に頑張った』と手前味噌で課題を提出し、その内容は、課題達成目標にほど遠く、評価のしようが無いものだと感じていた。 インターネットで調べて、そのままコピー、貼り付けて提出。なので、提出した学生さんは、殆ど内容を理解していない。そんな事が多々あった。私は「あなたが頑張ったかどうかは、あなたが決めることではないのね。内容を理解してない、コピペだけでは、学習したうちにはいらない、再提出です!」と返していた。そうすると、大抵の学生さんは、ほっぺを膨らまし、ブスッとして「えっー😠」と言う反応。当時の私は、「そのまま、患者さんの前に立つのはもってのほかだ」と思っていた😌何とまぁ、お堅い、高慢な姿だったこと!それから、 まぁ10年後位からは、『私的に頑張った』『うちら、頑張っている』と言われると、嬉しくなり、『あらっ、嬉しい。 どう頑張ったのか教えて❣️もっとアピールしてして❣️』となって、今に至る。不思議、今の対応の方が、学生さんが主体的に学習してくる。『この部分についてもう少し、調べられる?』と伝えると調べてくる。そして、ぼちぼち、点と点の知識が繋がり始め、中には、水を得た魚🐟のようになる学生さんもいる。更に、学習が楽しそうでつい、『ねっ、勉強は楽しいでしょう〜♪」と言ってしまう。すると、学生さんは、「平せんせーいが何気に1番楽しそう😄と言われる。「ハイッ!そうです!私が楽しませて貰ってます❣️」と心の中でつぶやいて幸せ気分😊。

確かに、社会生活においては、他者からの評価が優先になることが多い。仕事や 生活に責任を持つ上では、大切なことだと思う。 同時に、やはり先ずは「頑張った」と伝えられたら、一旦それをちゃんと受け止めて、頑張った内容を具体的に聞くことだなぁと学んだよ✌️そうすると、ただ ネットのコピペだけではない、その学生さんなりに、情報の取捨選択に迷いながら、考えながらやっていることや、他のことまでわかる。

その人なりの頑張りを認め、受け止める ことは、その人の水面下の努力や潜在能力、やる気の扉を開くのだなぁ😊 学生さん、大切なことに気づかせてくださり、ありがとう😊 今日、修士論文を提出できた。沢山の人々、書物、教えに導いて頂き、支えて頂きながら書き上げられた。4年間もかかった。感謝の思いで一杯!ありがとうございます! 55歳の私、色々ありながら、歩めたことが嬉しく感謝!そう、皆さま、それこそ「私的に頑張りました‼️」 これから、審査、口頭試問などがあるので、私的に頑張ります👍😂

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.64〉 『保険証持って行ってこい!』

義母がアルツハイマーの確定診断を得る為に、病院で MRI検査結果説明を受け なければならなかった。義母は、日毎に頑固さが増していた。徘徊はするが、 必要な外出は頑固として「行かないよ!」と言い、動かない。病院に行く朝も絶対に動かない、行かないと確信していた。そこで、当時の朝、「息子が具合悪いから、病院に一緒に行って」という 方法で誘導する事にした。息子が「母さん、腹が痛いから病院に行ってよ」と言った。義母の対応は、険しい表情で「保険証を持って自分で行ってこい❗️」と🤣息子が何度お願いしても、回答は変わらず。別室に行き、夫(息子)に「芝居が足りない。腹痛で転げ回るようにして」と伝えた。息子は、再度「母さん・・いててて」と決して、上手く無い芝居を頑張った。義母は、「何言ってんだ💢自分で行ってこい❗️」と。その対応を観て、私が怒りモードに。 血管がブチッと切れたような感じになり 爆発💥した。「お母様さん!何言ってんですか!息子が具合悪いのに! 平家の一大事ですよ💢」みたいになった。すると義母は、急にサッと立ち上がり、「保険証、持ったか!行くよ!」と 上着を着はじめた❗️既に全て車に入れてあった✌️義母の気が変わらぬうちに、車🚗へ誘導、その時の義母は何とも言えない複雑な悲しげな表情だった。今でもその表情は鮮明に覚えている。そして、車に乗り、いざ病院へ🏥。

運転したのは、腹痛で転げ回ったあの 息子だった😁でも、義母は気づかないようだった。診察室に入り、医師に 「調子はいかがですか?」義母「健康です」(にこやかに) 医師「今朝は、何をたべましたか?」 義母「ご飯🍚です」 医師「おかずは何を食べましたか」 義母「ご飯です(^^)」。

MRIの画像を見た。愕然とした脳実質のシワが殆ど無かった。義母はまだ68歳。「この、脳で生きてきたんた!」と 心の中で叫んでいた。義母の全ての言動の意味が腑に落ちた。きっと、発症は50代からだろう。様々な不安や生きづらさがあったのだろうなあと想像を巡らした。ボットをガス台に乗せて、火をつけたり、家にいても「帰る」とウロついたり、被害妄想が出て、トイレや風呂から飛び出てきたり。急に、義母が愛おしくなった。この状態でも、医師の前では体裁を保っている。健気だと。そして、私は情動に訴えることも、必要だと痛感した。義母が立ち上がったのは、義母の 情動が動いたためかなぁと。夫は、この時のことを殆ど覚えていないそうだ。 無理も無いと思う。芝居とはいえ、体調が悪いときに、母親から冷たい対応されたのだ。そして、自分の母親が壊れて行く姿を目の当たりにしなければならない厳しい現実だったと思う。だから、無理に思いださなくてもいいと思うので、 夫婦の会話には、この件は登場しない。 ただ、私にとっては、この場面は人生の中で最大で最高のコント☺️そして、保険証を見るたびに👀、病院に行く旅に「保険証、持ったか!」と義母の声が脳裏を過ぎる😉義母が見守ってくれているようだ。

お義母さん、車を運転していたのは、腹痛で転げ回った貴女の息子でした😆 嘘の芝居をしてごめんなさい🙏 その後の私のナースとして、人として 生きる上での道標と示唆を沢山残してくれた、最大で最高のコントであり、お義母さんの置き土産を大切にしていきます🎁いつまでも、見守っていてくださいね。

あなたの人生にも、最高のコント場面で 豊かな彩りが添えられますように🌈

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

https://www.facebook.com/profile.php?id=100053162407729

ssss

 
9月 9, 2026

ケアルーム便りを追加しました

🍊ケアルーム便りNo. 144🍎
🍬お知らせ編🍭
 台風、線状降水帯、洪水、地震など日本を含め、世界各国で災害が多発しており、胸が痛む日々です。被災された皆様に心からお見舞いを申し上げます。

「ケアする人のためのケアを考える集い」の初の対面開催のお知らせです!「ケアする人のためのケア研究室」を開設し、毎月、集いを開催してお陰様で4年が経ちました。オンライン上で皆様とかけがえのない時間を過ごさせていただき、心から感謝しております。いつも、ありがとうございます。ついに、対面開催の念願が叶い、10月に開催できる運びとなりましたので、お知らせさせて頂きます。日時は10月17日(土)13:30からとなります。詳細は、案内ポスターでご確認くださいますようお願いいたします。

※今月の集いは9/19(土)20時~、別途ご案内いたします。
今月のオンライン開催、10月の対面開催も皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。

~ケアする人のためのケア研究室~

、「<ケアする人のためのケアを考える集い>対面 のためのケアを考える集いン対画開催のお知らせ 蜗製 開催概要 日時: 2026年10月17日 (土) 13: 13:30~ 30~ (※開場13 00) 場所: 野村不動産新宿南口ビル (旧NMF南ロビル) セミナールームB 渋谷区代々木2-4-9 参加費 1,000円 参加費:1,000円 EI 定員: 定員:15名(先着順) 15名 (先着順) どなたでもご参加できます (ケアの経験は不問) プログラム内容 第1部: 主催者からのお話 ②第2部:日頃のケアの経験(悩みなどを分かち合います。 第2部: 日頃のケアの経験、 悩みなどを分かち合います。 連絡先 お申し込み・お問い合わせ お申し込み・ お問い合わせ 1 E-mail: -mail:keijunn0316@gmail.com 2 2LINEまたはMessenger お願い 会場内で飲食は可能です。 ゴミは各自でお持ち帰りください。 分かち合いの内容は口外されないようお願いいたします。」というテキストの画像のようです

ssss

 
2月 7, 2026

Voice No.53 ~56を追加しました

<Voice.53~56>

〈Voice.53〉 『俺が死んだどうする!おばさん!』

この声に出会ったのは、もうだいぶ前。 だけど、声の調子や話し方は、鮮明に 覚えている。そして、よく思い出す。 その人は、イライラした感じで「何で死んじゃいけないのか」と言うようなことをまるで問い詰めるかの勢いで話してきた。何かに怒りや苛立ちを感じているのがよく伝わってきた。私は、「死んじゃいけないとは思っていない」と伝えた覚えがある。彼は、何を求めて話してくるのかわからなかった。きっと、私の対応が彼の苛立ちを助長したのだろう、いきなり、「っていうかさー、俺が死んだら、どうするおばさん‼️💢」と怒鳴った。私は内心(ぶちっ‼️まるで血管が切れた?)かのように、ムカついてしまった。心の中で「見ず知らずの、貴方に おばさん呼ばわりされる筋合いないわよ‼️💢」となってしまった🤣私は、「おばさん」にひっかかり、それがトリガーとなり、私を噴火させてしまった。 「別に貴方が死んでも、私は何ともしませんよ!貴方のこと知らないし、何ともしません❗️」と言ってしまった。彼も「そうかよ!悪かったな!💢」と電話を切ってしまった。

受話器📞を置いて「何で、会ってもいないのに、おばさんなわけ⁉️」と頭も心も、グルグル🌀と熱量アップ⤴️。クールダウンしたが、時、すでに遅し😅「しまった!ごめんなさい🙏」と心の中で侘び、自己嫌悪の嵐。 自分から人に自分のこと、おばさんと 言っているくせに、何であんなに腹が立ったのだろう?我ながら情け無い。 しかも、何故「おばさん」にそんなに 火🔥がついてしまったのか, 思い出す度に、恥ずかしいやら情け無いやら。

皆さま、私はこのように時折、噴火するのです😆 ただ、おばさん呼ばわりが無くても 問われた問いに対する応えは同じ。 初めてお会いした人に対して「貴方が死んだら悲しい」なんて思えないし、軽はずみにそんなことは、言えない。嘘はつきたくない。 今だったら「私がどうするか、知りたいのかなぁ」と返すだろう。そうしたら、もっと彼の思いを聴かせてもらえたかなぁ。 あの彼は、どうしているだろうか。 きっと当時の彼のエネルギーからすると 「何で?」と思いながら、生きているだろう。

ごめんなさい。おばさんは、日々反省しているよ。反省の材料をありがとう。もし、再会できたら、今度はじっくりあなたの思いを聴かせてね。 私のこの大失敗は、私にプロセスレコードのように、振り返りをする材料になっている。 皆様だったらこのような時、どうしますか?

あなたがあなたの疑問や怒りに寄り添ってくれる人と出会えますように😌

今日も相変わらずです‼️ 感謝です🤗 マリア様のように慈しみ深く・・😊

 

〈Voice.54〉

『寒いのは、平気さぁ。雨さえ降らなければ。平さん、風邪引かないでね』

路上生活の人達が、私に言ってくれる 言葉。クリスマスの2日間、変わらず活動ができた。ミサに与れなかったが 私にとっては、今までで1番嬉しいクリスマスの過ごし方だった。上手く言えないけど、一見すると人間臭い中でクリスマスの雰囲気とは程遠い空間だが、心の中では神様をより身近に感じられる心持ちだった。路上の人々は、段ボール、ブルーシート等で暖をとり、寒い夜も過ごす。その人々が私にこのように言ってくださる。過酷な環境下での生活経験が滲みでているが、表現はサラリとしている。尚更、心に響き、暖かい気持ちになる。最高のクリスマスプレゼント🎁❗️ まだまだ、未熟なキリスト者の私に相応しい三間(時間、空間、人間)を神様は用意してくださったと感じている。 「来年もよろしくお願いします」と言うと、異口同音に「来年は、もう居ないかもよー」とにこやかに話された。

路上の皆さんいつも、私の相手をしてくださり 、支えてくださり、色々教えてくださり、ありがとうございました! 仲間の皆さん、様々な協働作業をありがとうございました!このような機会に恵まれたことに感謝してます。

あなたも心温まることに出会え、ホッコリした歳の瀬をすごせますように🍵

投稿をお読みくださっている皆様、遅ればせながらMerry Xmas❣️

今日も相変わらずでした‼️感謝です🤗

 

〈Voice.55〉『〜に感謝して』

この言葉は、看護専門学校で教員を している時によく聞いた。学生さんに対して「学べることに感謝して」などのように。当時の私は、いつも違和感を感じていた。違和感だけでなく、反抗?抵抗も感じていた。学生さんに対して感謝を強要しているように思えてならなかった。なぜ、そのように思えたのか? 10年以上位たち、漸くきづいた。随分とかかったものだ😆

そもそも、感謝の気持ちは他者から強制、強要されるもの では無く、湧き出るものだと。当時、学生さん全体?いや世間全体の雰囲気として「してもらって当たり前」というように感じていたなぁ。(あくまでも、個人的な感覚)そして「感謝する側」と「感謝される側」などの区別を勝手にしていたように思う。学生さん、世間に対して「感謝の気持ちが足りない」と感じながら「強要するもんじゃない」と考えていた。なんと勝手で傲慢だったこと!その時の自分はどうだった?学生さんに感謝していたかなぁ?その思いはゼロでは無いが、余り感謝していなかったし、伝えていなかった。自分がしていたのは、他者批判だった。恥ずかしいなぁ。 感謝とは、する側、される側とかではなく、強制するものでも無くお互いにその気持ちが湧くようなことだと気づいた。

それに気づいたら、今は感謝の気持ちが 1番私を包んでくれる❣️ありがたい、幸せだなぁ。相手に対して、「感謝の気持ちが足りない」と感じたら、自分から感じた感謝の気持ちを伝え、発信していけばいい。勿論、感謝の気持ちが湧いたらでいい。「愛情」と同じように、不足している所には、その種を自ら蒔いていければいいなぁ(^^)。スルーされることもあるかもしれないが、日々の暮らしの中で感謝を伝え続けていきたい。

当時、私に関わってくださった学生さん、先生方、今の私は皆様に感謝の気持ちしかありません‼️ 今年もあと僅か、色々あったなぁ。 でも、私は感謝の気持ちでいっぱい❣️ それ以外は浮かばない、とても幸せ。

投稿をお読みくださる皆様にも、感謝の気持ちで一杯です!ありがとうございます♥️

あなたも互いに感謝の気持ちを伝えあい、幸せな気持ちで過ごせますように🍀

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.56〉『これでいいのだ』

この声を聞くと、何故か気持ちが 落ち着く。子どもの時にTVでみた 「天才バカボン」のお父さんが最後に 言う言葉😊何か困りごとや怪しげなこと、色々とあっても最後にバカボンパパが「これでいいのだ」と一言。以前は 「終わりよければ全て良し」と言う意味に感じていたが、ここ最近は、少し違うかなぁ。何となく「お前はこれでいいのだよ」と受け入れ、認められているように感じる。「バカボン」は「薄伽梵(バキャボン)」でお釈迦様の敬称だそうだ。そして「これでいいのだ」は「あるがままを受け入れる悟りの境地」らしい。

やっぱり、「これでいいのだ」は ふわっと、そしてしっかりと私を包んでくれるVoiceだなぁ🍀 今年も、色々なドジをしたり、悲しいこともあった。だけど大部分は幸せで 良い年だった!上手くいかないことも あったが「これでいいのだ!」と認めてくれている様な気がするよ。誰が❓誰かなぁ👀神様と自分かな😆

皆さんも一年を振り返り、ご自分を 「これでいいのだ」と優しく暖かく認めてあげ、労って欲しいです❣️

あなたも互いに「これでいいのだ」と認めあいながら、良い年を迎えられます様に‼️ 皆様、今年もありがとうございました!

今日も相変わらずでした‼️感謝です🤗

追伸:レレレのおじさんの記事→「レレレのおじさん」についても、実際にお釈迦様の弟子である「チューラパンタカ(周利槃徳=しゅりはんどく)」がモデルになっていて、妙法蓮華経によれば、自分の愚かさに苦しんでいた時にお釈迦様より命じられて毎日掃除をして唱えるという修行の後に「真に払い除くべきものは、実は自分の心の中の塵であり埃なのだ」

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2月 7, 2026

ケアルーム便りを追加しました
🐼ケアルーム便りNo. 121 🐴
🍓振り返り編🍅
 1/17に「ケアする人のためのケアを考える集い第37回目」を終えました。今年度は、皆さまの思いや経験を分かち合う時間を多く持っていきたいと思います。皆さまから貴重なコメントを沢山頂きました。ありがとうございました。
1.主催者の経験の分かち合い
 1)スピリチュアルケア学会の学び
  「スピリチュアルケアにおける自律と他律」について
  ~佐藤俊一先生の演題からの学び~
 2)年末年始に経験した「去るいのちと救われたいのち」
  家族とは?キーパーソンとは?
2.参加者の方からの分かち合い
 1)自分をケアする上で大切なこと(記事の紹介)
 ①お金:元気が出る。割り切れる力が出る
     贅沢ができる。贅沢とは、自分を人間扱いすること
     色々な選択肢が増える。
 ②人:チームメンバーが大事。心配してくれる人、役割を分担
   する人、一人になる時間を確保できる。共有できる人
  ※「人」を増やすにもお金が必要
 ③認められていることが本人に伝わっている。
 2)コメント(参加者方から)
 ①「仕事」と思うと、汚い家への訪問、利用者、家族からの攻撃も割り切れる。お金をもらっているからと割り切れる
 ②「当たり前」になる、感謝されないと腹が立つ
 ③施設などでは利用者の人間関係の調整が大変、この部分においては、ケアの技術だけでは対処が困難で、対人関係の調整技術が必要だと思う
 ④自分の存在意義を感じた時に、自分がケアされていると感じた。
 ⑤「家族」とは、個人システムだが、医療の中で責任を担う重要人物としての家族。
 ⑥集いに参加したことで、職場で小さなミスを重ねてパニックになっている人に対して「ケアが必要」と気づけた。
 ⑦厚生労働省の各委員会の人々は、現場のことが想像つかない。ケアを実践している人がそこに参加して現況を伝えることも必要。
3.ケアルーム図書の紹介
至文堂「現代のエスプリ」対人関係の再発見
 ~信頼と絆の回復に向けて~
次回は2月21日(土)20時から開催です。皆さまのご参加をお待ちしています。
~ケアする人のためのケア研究室~
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