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読み応えがありました
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読み応えがありました
川澄裕勝著「叱られる幸せ」 サンマーク出版
<本文より>
「言ってみれば、人間は叱られることで、本当の人間になっていくのだと思います」
「心で叱る。相手のことを思いながら叱る。生涯間違いを犯さずに生きることができないの人間の特徴です。」
「怒らずに、叱る」
著作者名:
出版社名:
感 想:
読み応えがありました
1.2024年8月:「看護師のスピリチュアルペインとその実情」の調査結果が日本スピリチュアルケア学会誌に掲載されました。
2.2025年7月:昨年、現場で働いている看護師さんにインタビュー調査をさせて頂き、現在分析中です。
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<Voice 47 ~51>
〈Voice.47〉
「やばいよ、やばいよ〜😁」 看護専門学校の専任教員をしていた時のこと。学園祭の準備で、学生さん達が消化器官の模型を作成していた。とても良くできていた。胃の内壁、粘膜の色合い、全体の形などあまりにも素晴らしいので、感激してその思いを伝えた。具体的な言葉は覚えていない🤣すると、学生さん同士がニコニコと互いに顔(^^)を見合わせて、「先生が凄く褒めてくれたやばいよ、やばいよ〜」「めっちゃ、うれしくてやばいんだけど」と口々に言った。私は、不安になった。心の中で『やばいって、褒めたつもりなのに、どうしよう』みたいな思いが過ぎっていた。だけど、彼らは嬉しそう。『嬉しそうに やばいってなんダァ‼️😆』と心の中で叫んでたいたのを覚えている。勇気を出して学生さんに聞いた「やばいって、中か悪かったかなぁ?」と。すると学生さんは、「先生、違うの。そのやばいじゃなくて、嬉しすぎてどうして良いかわからないくらい、それがやばいの」と言うような説明をしてくれた。
とてもホッとして私まで嬉しくなった感覚を覚えている😌それから、その学生さん達と学内ですれ違う時などは、ニコニコしながら 「ヤバイよヤバイよ〜」が挨拶がわりになった。不思議だなぁ、その言葉で挨拶していた時は、何故か胸が高鳴るような感じで嬉しかった‼️今でも思い出すと胸が高鳴る感じがする😚「ヤバイよ〜❗️」かな。学生さんの名前は、忘れちゃった。あれから約15年くらい経つ。 今、近隣の短期大学生の学生さんが 我が家の愛犬ジュンをみると、「きゃー可愛い💕ヤバイよ〜ヤバイよ〜」と撫でてくれる。私も嬉しさ倍増で「ヤバイよ〜❣️」
学生さん、胸が高まるほっこりした思い出をありがとう!当時のままの貴女達でナースをしていて欲しい!と願っています😃 あなたも誰かの胸が高まる思い出の人になっているかもです!それは、素敵すぎてヤバイかな〜😘
今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗
〈Voice.48〉
「笑わないで聴いて・・」 「私、、可笑しいでしょう」
傾聴の中で、時折出会うVoice. そう、聴かせて頂いていると、笑えるような内容では無い。そして可笑しくもない。語られる内容は、その人が苦しんだり、そのことで貶されたり、恥ずかしい思い、悔しい、悲しい思いをされ、抱えている。割り切れない自分、クリアできない自分を責め、情けなく思いそして自己否定している。「笑わないで~」には 話すことにより、笑われて傷つくことから自分を守っているのだと感じる。そうしなくてはならないほど、傷つき、悩みながら生きてきた。そのことだけでもその人は尊いと私は思う。 「私、、可笑しいでしょう」も、その出来事や悩みや苦しみと向き合って、もがいてどうにもならず、そんな自分に対して何とも言えないくらい、歯痒さなどを感じながら生きていて、やはり笑われることでこれ以上傷つくのを回避するためだとに自ら「可笑しいでしょう」と先手を打っているように感じる。そのような中で向き合いながら生きてきたことが尊いと感じる。 「話したいだけど傷つきたくない、ちゃんと聴いてほしい」と言う心のVoiceが、声から吐息から、ボディから伝わってくる。勇気を出して、私に話してくださっている。お話ししてくださり、ありがとう。笑わないので、安心して話してくれたら嬉しいなぁ😌
この二つのVoiceは、その人達の強さや直向きさ、尊さに気づかせてくれる。
もし、あなたがこのVoiceと出会った時は暖かく、優しいブランケットのように その人の声を聴いてほしい。そして、あなたが逆の立場になった時は、あなたの思いを優しく暖かく包み込むように聴いてくれる人と出会えますように🍀
今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗
〈Voice.49〉
『ともかく 具体的に動いてごらん 具体的に動けば 具体的な答が でるから』 この詩と出会い、だいぶ経つなぁ。 仕事や学習で、課題が山積みで混乱しそうな時、何かに迷い手がつけられない時にこの言葉を思い出し、その時に思いついた事から始める。すると、あら本当にその通りになる❗️不思議だなぁ。具体的な答や考え、方法などが出てくる。 この事を繰り返してきたら、習慣になったよ😄そして、その行動に対する『 先ずは、コレをやってみよう」と言う 思いが徐々に『コレをやってみればいいんだ!』と言う確信に変わった✌️ ありがたいなぁ。この詩のポストカードは、状況に応じて居場所が変わる。スケジュール手帳だったり、学習課題ノート、今は「分析.論考ノート」に挟んである。お守りみたいだ。😌迷い、悩み、混乱しそうな時に静かに確実にポンっと背中を押してくれるVoice😊この詩の言葉は、このように生きてきた人からしか生まれてこないと思う。先人の教えはありがたいなぁとつくづく思う。
皆さんの中にも、このように生きてきた方もいると思う。 これから、受験や検定試験、資格試験 シーズン。 あなたの周りに、焦っている人、混乱している、迷子になっている人がいたら、この詩を分かち合ってみるのも良いかもよ😉
相田みつをさん、あなたの言葉のおかげで豊かな人生を送れています。私もあなたのように、自分と大切な人々が心豊かに生きれるような言葉や声を紡ぎ出せるようになりたいです🍀
あなたとあなたの大切な人の背中を優しく押してくれる言葉や声にであえますように❣️ 今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗
〈Voice.50〉
『あめゆじゅ とてちてけんじゃ おらおらでひとりえぐも(Ora Orade Shitori egumo)』 これは宮澤賢治の詩歌「永訣の朝」の 言葉。この詩歌に出会ったのは確か 中学生の国語の授業だった。賢治の大切な妹、とし子が今日旅だってしまう悲しみ、とし子への思い、とし子の優しさなどを詩にこめている。意味は「雨雪をとってきてください。私は私で1人で行きます」 私は、この部分だけがとても印象的で 今日みたいな冷たい雨の日や雪賀舞う日は必ずこのフレーズが蘇る。天国と繋がっているような不思議な感覚になり、ふと寂しさや命の儚さに思いを馳せる。妹さんは、死を覚悟していた。 そして、冬の雨、雪の日は心の中で 「『あめゆじゅとてちてけんじゃ』だなぁ」と呟いている。理由は、わからない。そして、この詩歌が好きであること、このような思いでいることを誰にも伝えたことが無い。不思議なことに、20年位前、母が旅行で宮澤賢治記念館に行き「永訣の朝」の詩集を買ってきてくれた。何だかとても嬉しかった。他にもたくさんの詩歌があるが、今だに、私はこの「永訣の朝」に引き込まれる😊
出会った当初は、妹の様子を想像していたのを微かに覚えている。 今、読み返すと最愛の妹を失う悲しみと妹に対する愛情、そして宇宙、自然への畏敬の念と一体感を静かに感じることができる。 宮澤賢治といえば「雨にもマケズ」 が有名だなぁ。でも私は「あめゆじゅとてちてけんじゃ」。 冬の寒空の日に、天国に召された大切な人々を思いだしながら「あめゆじゅとてちてけんじゃ、、」そして私も静かに「おらおらで ひとりえぐも」と悟れるように生きたいなぁと願う。 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」は 静かに、語りかけてくれ、生命の儚さと大切さ、大切な人々を思い出させてくれるささやくようなVoice. あなたも心静かに何かに思いを馳せる詩歌と出会えますように。
皆さまシリーズ?Voiceは記念すべき50回目となりました✌️ 1人静かに盛り上がり😄喜んでいます。 皆さまがお読みくださっているおかげで、続けられます。ありがとうございます😊これからもよろしくお願いします❣️
今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗
〈Voice 51〉
『私の睡眠かえせー❗️』
これは、当時の私の心中の叫び、いや 雄叫び⁉️ 義母の認知症が進行し、自分の家に居ても昼夜問わず「帰る帰る」とウロウロ。 あちらこちらの扉をあける。仏壇を見せても「これは、誰かが持ってきたんだ」と。私はフルタイムで働いていた。夫は仕事を休み、つきっきりだった。当時は介護休暇もなく、アリセプトも保険が適用されていなかった。誰かが働かないと生活できない。看護学校の専任教員は持ち帰りの仕事も多く、昼休みもろくに取れずブラック企業そのもの。寝不足と疲労が蓄積されていた。夜中に扉を開ける音にうんざりし「また!寝かせてよ。私の睡眠返せー!💢」と心の中で叫びながら台所に行くと、義母が棚や引き出しやら開けまくっていた。心の中で雄叫びと怒りがマックスになりかけた時、義母の手には、私の大好きな山崎の菓子パンが!栗とさつまクリームの秋限定の菓子パン、当時のマイブーム😆それを頂くのが唯一の癒しと楽しみだった。その菓子パンが、よりによって義母の手に!義母は、嬉しそうに、そして少しバツが悪そうに私を見た(嫁と認識されていない私)。その表情の可愛らしいこと!今でもはっきり覚えている。 私「それを食べたいの?」 義母「何にも食べていないから、えへへ(^^)」と可愛い💕 心中の雄叫びボルテージが下がるのを 感じた。その感覚、今でも覚えている。 「嘘です。お義母さん、貴女は仏壇のバナナ🍌3本を食べたあげくしらを切り、夕飯もしっかり食べましたよ」と言う事実があったが、忘れている!天晴れ! 勿論、このことは言わなかったよ。
真夜中の台所で、夫には内緒🤫で お茶を🍵入れ、菓子パンを仲良く半分こして頂きました😃穏やかなひと時でした。その後「帰る」と言う徘徊に お供したか、添い寝をしたかは忘れましたが、あの時の義母の可愛らしさは今でも鮮明に覚えている。 お義母さん、あの菓子パンを長らく食べていません。そのうち、一緒に食べましょう😊
何かと気ぜわしい年の瀬を迎えます。 あなたもホッコリする時間を過ごせますように🍵 今日も相変わらずでした‼️ 感謝です😊
Voice.52〉 『何で、自殺しちゃいけないの?』
傾聴ボランティアをしていると、時折この声に出会う。このように聞かれたら 皆さんはどう対応するかなぁ。最初の頃はとても戸惑い、「何かを応えなくては」と思いがあった。今は、違う。 無理に応える必要がないことに気づいた。そのお陰で、気が楽になり「あなたはどう思うの?」「私の考えが気になるの」とか「なぜ、そのような事を聞いてくるの?」と伝えられるようになった。 伝えたあとの相手のお話は、実に色々。 だけど、共通しているのは「自殺は良く無い事」と言う世間の見方等に疑問を 抱いている。だから、家族にも、友人とも自殺について話すことが難しいのだ。 そして、「よく無い事」と言う見方に 追い詰められて「自殺したいなんて、よく無いことだよね、自分はどうしようも無い」と自分を責める人もいる。 私は「良い、悪いじゃなくてその思いを聴かせて」と伝える。 「良い」「悪い」の二者択一ではなくて その思いや、自殺について話せる場や 人が必要だなぁと感じる。 だから「自殺予防月間」あるいは「自殺防止月間」と言うキャッチフレーズを目にすると違和感を覚える。「予防」「防止」に囚われすぎると、聴く側は、「予防しなきゃ」「防止しなきゃ」と言う思いに支配され、それがバイアスやバリアとなり相手の心の声が聴けなくなる場合がある。そして、家族や関わった人々は 「防止、予防できなかった」と自分を責める場合もある。 だから、私は「まずは、聴かせて」と 言う気持ちを大切にしている。相手に応えを示すことよりも、聴きながら一緒に 悩んだり、揺らいだり、考えたり、時には怒ったりしながらその時を共に過ごす。僅かな時間でも、共にいる😉 でも、世の中には、疑問や思いを発せずに、ボランティアや支援窓口に繋がらない人も沢山いると思う。
もし、皆さんの周囲でそのような声と出会ったら、肩の力を抜いて聴いて欲しい。カウンセラーじゃ無いから、専門家じゃ無いからと、重たい話しだからと 扉をしめるのではなく、まずは耳を傾けて欲しいなぁ。その小さな積み重ねを大切にしてほしいなぁ😌
電車の人身事故、芸能人の自殺も増えてきている。
あなたもあなたの思いを大切にしてくれる人と出会えますように。そして、あなたも誰かの大切な存在でありますように🍀 あなたの声、思いを聴かせてね。
今日も相変わらずです‼️ 感謝です🤗
ジョアン・ハリファックス著 井上ウイマラ監訳「死にゆく人と共にあること」
~本文より~
「死への道は、どんな時も比べようのないものである」
「死に取り組むことの難しさの中には、決まって共通の根、恐れという根が存在します」
「私たちにとっても良好な状態は他者にとっての良好な状態なのです。あなたの心と繋がる時間を持ってください」
オーナーより
「人間はいつか死ぬ」と頭でわかっていても、その死を目の前にすると様々な不安や気持ちの揺らぎ、恐れ、後悔などに見舞われます。
私自身は、その人の命と向き合うことに恐れを抱き、もがきながらも真剣に向き合うことを心がけています。その人の命に真剣に向き合うことで、
その命が輝く瞬間があります。その瞬間を、私の心に刻み思いを馳せることが私の役割と感じています。
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