~あなたの心の安全地帯になれますように~
 

ケアルーム便りを追加しました

🐼ケアルーム便りNo. 121 🐴
🍓振り返り編🍅
 1/17に「ケアする人のためのケアを考える集い第37回目」を終えました。今年度は、皆さまの思いや経験を分かち合う時間を多く持っていきたいと思います。皆さまから貴重なコメントを沢山頂きました。ありがとうございました。
1.主催者の経験の分かち合い
 1)スピリチュアルケア学会の学び
  「スピリチュアルケアにおける自律と他律」について
  ~佐藤俊一先生の演題からの学び~
 2)年末年始に経験した「去るいのちと救われたいのち」
  家族とは?キーパーソンとは?
2.参加者の方からの分かち合い
 1)自分をケアする上で大切なこと(記事の紹介)
 ①お金:元気が出る。割り切れる力が出る
     贅沢ができる。贅沢とは、自分を人間扱いすること
     色々な選択肢が増える。
 ②人:チームメンバーが大事。心配してくれる人、役割を分担
   する人、一人になる時間を確保できる。共有できる人
  ※「人」を増やすにもお金が必要
 ③認められていることが本人に伝わっている。
 2)コメント(参加者方から)
 ①「仕事」と思うと、汚い家への訪問、利用者、家族からの攻撃も割り切れる。お金をもらっているからと割り切れる
 ②「当たり前」になる、感謝されないと腹が立つ
 ③施設などでは利用者の人間関係の調整が大変、この部分においては、ケアの技術だけでは対処が困難で、対人関係の調整技術が必要だと思う
 ④自分の存在意義を感じた時に、自分がケアされていると感じた。
 ⑤「家族」とは、個人システムだが、医療の中で責任を担う重要人物としての家族。
 ⑥集いに参加したことで、職場で小さなミスを重ねてパニックになっている人に対して「ケアが必要」と気づけた。
 ⑦厚生労働省の各委員会の人々は、現場のことが想像つかない。ケアを実践している人がそこに参加して現況を伝えることも必要。
3.ケアルーム図書の紹介
至文堂「現代のエスプリ」対人関係の再発見
 ~信頼と絆の回復に向けて~
次回は2月21日(土)20時から開催です。皆さまのご参加をお待ちしています。
~ケアする人のためのケア研究室~
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2月 7, 2026

Voice No.53 ~56を追加しました

<Voice.53~56>

〈Voice.53〉 『俺が死んだどうする!おばさん!』

この声に出会ったのは、もうだいぶ前。 だけど、声の調子や話し方は、鮮明に 覚えている。そして、よく思い出す。 その人は、イライラした感じで「何で死んじゃいけないのか」と言うようなことをまるで問い詰めるかの勢いで話してきた。何かに怒りや苛立ちを感じているのがよく伝わってきた。私は、「死んじゃいけないとは思っていない」と伝えた覚えがある。彼は、何を求めて話してくるのかわからなかった。きっと、私の対応が彼の苛立ちを助長したのだろう、いきなり、「っていうかさー、俺が死んだら、どうするおばさん‼️💢」と怒鳴った。私は内心(ぶちっ‼️まるで血管が切れた?)かのように、ムカついてしまった。心の中で「見ず知らずの、貴方に おばさん呼ばわりされる筋合いないわよ‼️💢」となってしまった🤣私は、「おばさん」にひっかかり、それがトリガーとなり、私を噴火させてしまった。 「別に貴方が死んでも、私は何ともしませんよ!貴方のこと知らないし、何ともしません❗️」と言ってしまった。彼も「そうかよ!悪かったな!💢」と電話を切ってしまった。

受話器📞を置いて「何で、会ってもいないのに、おばさんなわけ⁉️」と頭も心も、グルグル🌀と熱量アップ⤴️。クールダウンしたが、時、すでに遅し😅「しまった!ごめんなさい🙏」と心の中で侘び、自己嫌悪の嵐。 自分から人に自分のこと、おばさんと 言っているくせに、何であんなに腹が立ったのだろう?我ながら情け無い。 しかも、何故「おばさん」にそんなに 火🔥がついてしまったのか, 思い出す度に、恥ずかしいやら情け無いやら。

皆さま、私はこのように時折、噴火するのです😆 ただ、おばさん呼ばわりが無くても 問われた問いに対する応えは同じ。 初めてお会いした人に対して「貴方が死んだら悲しい」なんて思えないし、軽はずみにそんなことは、言えない。嘘はつきたくない。 今だったら「私がどうするか、知りたいのかなぁ」と返すだろう。そうしたら、もっと彼の思いを聴かせてもらえたかなぁ。 あの彼は、どうしているだろうか。 きっと当時の彼のエネルギーからすると 「何で?」と思いながら、生きているだろう。

ごめんなさい。おばさんは、日々反省しているよ。反省の材料をありがとう。もし、再会できたら、今度はじっくりあなたの思いを聴かせてね。 私のこの大失敗は、私にプロセスレコードのように、振り返りをする材料になっている。 皆様だったらこのような時、どうしますか?

あなたがあなたの疑問や怒りに寄り添ってくれる人と出会えますように😌

今日も相変わらずです‼️ 感謝です🤗 マリア様のように慈しみ深く・・😊

 

〈Voice.54〉

『寒いのは、平気さぁ。雨さえ降らなければ。平さん、風邪引かないでね』

路上生活の人達が、私に言ってくれる 言葉。クリスマスの2日間、変わらず活動ができた。ミサに与れなかったが 私にとっては、今までで1番嬉しいクリスマスの過ごし方だった。上手く言えないけど、一見すると人間臭い中でクリスマスの雰囲気とは程遠い空間だが、心の中では神様をより身近に感じられる心持ちだった。路上の人々は、段ボール、ブルーシート等で暖をとり、寒い夜も過ごす。その人々が私にこのように言ってくださる。過酷な環境下での生活経験が滲みでているが、表現はサラリとしている。尚更、心に響き、暖かい気持ちになる。最高のクリスマスプレゼント🎁❗️ まだまだ、未熟なキリスト者の私に相応しい三間(時間、空間、人間)を神様は用意してくださったと感じている。 「来年もよろしくお願いします」と言うと、異口同音に「来年は、もう居ないかもよー」とにこやかに話された。

路上の皆さんいつも、私の相手をしてくださり 、支えてくださり、色々教えてくださり、ありがとうございました! 仲間の皆さん、様々な協働作業をありがとうございました!このような機会に恵まれたことに感謝してます。

あなたも心温まることに出会え、ホッコリした歳の瀬をすごせますように🍵

投稿をお読みくださっている皆様、遅ればせながらMerry Xmas❣️

今日も相変わらずでした‼️感謝です🤗

 

〈Voice.55〉『〜に感謝して』

この言葉は、看護専門学校で教員を している時によく聞いた。学生さんに対して「学べることに感謝して」などのように。当時の私は、いつも違和感を感じていた。違和感だけでなく、反抗?抵抗も感じていた。学生さんに対して感謝を強要しているように思えてならなかった。なぜ、そのように思えたのか? 10年以上位たち、漸くきづいた。随分とかかったものだ😆

そもそも、感謝の気持ちは他者から強制、強要されるもの では無く、湧き出るものだと。当時、学生さん全体?いや世間全体の雰囲気として「してもらって当たり前」というように感じていたなぁ。(あくまでも、個人的な感覚)そして「感謝する側」と「感謝される側」などの区別を勝手にしていたように思う。学生さん、世間に対して「感謝の気持ちが足りない」と感じながら「強要するもんじゃない」と考えていた。なんと勝手で傲慢だったこと!その時の自分はどうだった?学生さんに感謝していたかなぁ?その思いはゼロでは無いが、余り感謝していなかったし、伝えていなかった。自分がしていたのは、他者批判だった。恥ずかしいなぁ。 感謝とは、する側、される側とかではなく、強制するものでも無くお互いにその気持ちが湧くようなことだと気づいた。

それに気づいたら、今は感謝の気持ちが 1番私を包んでくれる❣️ありがたい、幸せだなぁ。相手に対して、「感謝の気持ちが足りない」と感じたら、自分から感じた感謝の気持ちを伝え、発信していけばいい。勿論、感謝の気持ちが湧いたらでいい。「愛情」と同じように、不足している所には、その種を自ら蒔いていければいいなぁ(^^)。スルーされることもあるかもしれないが、日々の暮らしの中で感謝を伝え続けていきたい。

当時、私に関わってくださった学生さん、先生方、今の私は皆様に感謝の気持ちしかありません‼️ 今年もあと僅か、色々あったなぁ。 でも、私は感謝の気持ちでいっぱい❣️ それ以外は浮かばない、とても幸せ。

投稿をお読みくださる皆様にも、感謝の気持ちで一杯です!ありがとうございます♥️

あなたも互いに感謝の気持ちを伝えあい、幸せな気持ちで過ごせますように🍀

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.56〉『これでいいのだ』

この声を聞くと、何故か気持ちが 落ち着く。子どもの時にTVでみた 「天才バカボン」のお父さんが最後に 言う言葉😊何か困りごとや怪しげなこと、色々とあっても最後にバカボンパパが「これでいいのだ」と一言。以前は 「終わりよければ全て良し」と言う意味に感じていたが、ここ最近は、少し違うかなぁ。何となく「お前はこれでいいのだよ」と受け入れ、認められているように感じる。「バカボン」は「薄伽梵(バキャボン)」でお釈迦様の敬称だそうだ。そして「これでいいのだ」は「あるがままを受け入れる悟りの境地」らしい。

やっぱり、「これでいいのだ」は ふわっと、そしてしっかりと私を包んでくれるVoiceだなぁ🍀 今年も、色々なドジをしたり、悲しいこともあった。だけど大部分は幸せで 良い年だった!上手くいかないことも あったが「これでいいのだ!」と認めてくれている様な気がするよ。誰が❓誰かなぁ👀神様と自分かな😆

皆さんも一年を振り返り、ご自分を 「これでいいのだ」と優しく暖かく認めてあげ、労って欲しいです❣️

あなたも互いに「これでいいのだ」と認めあいながら、良い年を迎えられます様に‼️ 皆様、今年もありがとうございました!

今日も相変わらずでした‼️感謝です🤗

追伸:レレレのおじさんの記事→「レレレのおじさん」についても、実際にお釈迦様の弟子である「チューラパンタカ(周利槃徳=しゅりはんどく)」がモデルになっていて、妙法蓮華経によれば、自分の愚かさに苦しんでいた時にお釈迦様より命じられて毎日掃除をして唱えるという修行の後に「真に払い除くべきものは、実は自分の心の中の塵であり埃なのだ」

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11月 29, 2025

本の紹介を追加しました

    『ありがとう、ありがとう』
 小さな文庫本で400ページ以上あるけれど、吸い込まれるように読んだよ👌
『うん、うん、なるほど!』『えーっ、そうなのー‼️』『こんなことあるのか⁉️』などなど心の中で叫びながら読んだ。洞察力、緻密さ、謙虚さを持って知性を使うことの重要性を歴史的な大事故の原因究明、医療、心理、組織、教育などの多岐に渡り先行研究を広いあげ、インタビュー調査結果などを踏まえて書かれているから説得力満点‼️。読み終えた時は、ただひたすら『恐れ入りました』『ありがとう、ありがとう』と言う思いだった。折に触れて再読していきたい😊是非是非、ご一読を❣️
ssss

 
11月 29, 2025

ケアルーム便りを追加しました
🍄ケアルーム便りNo. 118🪾
🍰振り返り編🍭
 11/15に「ケアする人のためのケアを考える集い第36回」を無事に終えました。年内最後の集いでしたが、新たな方がご参加してくださり、また、お仕事で海外に行かれていた方がその海外からご参加してくださったりととても嬉しい集いとなりました。内容は、主催者が参加した第18回日本スピリチュアルケア学会の報告と、私自身の状況報告、これまでの集いを踏まえて、皆さまのそれぞれの思いをや気分転換の方法などを分かち合いました。この1年間は、主にセルフ・コンパッションやケアの場面におけるケア者の心模様や独善性について、皆さまと分かち合ってきました。皆さま、ご参加くださり貴重なコメントや経験を分かち合ってくださり本当にありがとうございました!12月はお休みとなり、次回は2026年1月17日に開催予定です。来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
 日ごとに、寒さが増してまいります。皆さまにおかれましては、どうぞご自愛くださり良い年の瀬をお迎えくださいますようお祈りしております。
~ケアする人のためのケア研究室~
、「ケアする人のためのケアを考える集い 第37回 迎 春 1. 1.日時 日時 2026年 1月17 1.日時2026年1月17(土)20:00 1月17(土)20:00 (土) 20:00 2. ・テーマ:お互いの思いを分かち合う テーマ 福」というテキストの落書きのようです
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