~あなたの心の安全地帯になれますように~
 

Voice No.72 ~83を追加しました

〈Voice.72〉『せんたくもの👔』

これには、音声はない。アルツハイマーだった義母がグループホームへの入居がきまり、施設に行く日のことだった。私は、所用で同行出来なかった。夫が連れて行った。帰宅すると、洗濯物がたたんであった!義母のたたみ方だった。徘徊や様々な周辺症状もあり、落ち着かない日々だったので、洗濯物がたたんであるのに驚いた❗️夫の話しだと、その日、グループホームに行く前の義母はとても静かで、何かを悟ったかのように、黙々と洗濯物を畳み出したらしい。私の下着までたたんであった🤭  たたんである洗濯物をみて、当時の私は複雑な思いになった。『本当にこれで良かったのかなぁ。』『一緒に暮らしたほうが、、』などなど、後悔やら詫びるような気持ちが錯綜したのを覚えている。義母はどんな思いで、たたんでくれたのかなぁ。今でも、時々、思いを馳せそして今になって『きちんと、たたみなさいよ』『誰の下着かしらねぇ』などと 何だか義母の穏やかな声が囁いているような気がする。もうだいぶ時が経つのになぁ☺️お義母さん、洗濯物をたたんでくれて ありがとう。実は私は洗濯物を干すのは大好き💕でも、、たたむのはちょっとー🤣「面倒くさいですぅ〜😆お許しくださいませね!」 グループホームに行く日の義母は、しおらしかった。しかし!ホームで最新の夜は「帰る帰る」と枕を抱えてウロウロ。 若い男性介護士さんが優しく手をひこうとしたら、「何すんだよ!このバカ!」と介護士の手をピシャッ❗️と。かなり激しい様子だったらしい😃 どちらも義母の姿だよなぁ。

今でもたまに、洗濯物をたたみながら義母の当時の声にならなかった思いを想像する。柔らかい、ふわりとした心地になる。ありがたいなぁ🥰 お義母さん、ありがとう。

コロナ禍もおちつきませんが、あなたも 柔らかい、ふわりとした心地になれますように。

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

〈Voice.73〉『その為に、プロがいるのよ、だからいいの』

これは、かつて友人が言ってくれた言葉。義母のことであれこれ戸惑い、悩んでいた。施設には自分がナースであることを伏せていた。それは、6年間言わずにいた。私は家族でありたかったし、施設の職員の方々を信頼していた。義母は病状が進行し、車椅子レベルになった時に特養を勧められた。その理由も充分理解できた。しかし、義母はグループホームで穏やかににこやかに過ごすようになり、職員の方々、同じ認知症の方々からとても可愛がって頂いていた。心から安堵しているようだった。当時は、義母のことであれこれ悩む自分、戸惑う自分に違和感があり、嫌になっていた。「自分も看護師なのに、なんで冷静になれないのかなぁ😔」と。そのことを友人に伝えたら、サラリと『いいのよ。悩んで、家族なんだから。その為にプロがいるのでしょう』と言ってくれた。すごく、視界が開けたような、胸のつかえがスッと無くなった感覚を今でも覚えている❣️ 本当に心が救われたなぁ☺️。お陰で、悩みや戸惑いを正直に、施設の人に伝えられた。義母は、最期までそこで過ごすことができた。延命措置の選択の確認をされたとき、とても複雑だった。苦しい思いはさせたくない。でも、「寝たきりで延命することは、どうなのかな。目も開けなくなっていた。それで、延命、、肺炎になったら苦しいだろうし、」その 思いを伝えたら、施設長が「苦痛だけは 取り除くようにしましょう。苦しそうであれば吸引もしますし、苦痛に対処して 延命はしない選択もありますよ」と。この施設長の助言が、また私と夫の心を救ってくれた❗️お陰で、義母は寝たきりになったが、肺炎も床ずれもなかった。亡くなる2日前に、私が作った黒胡麻ムースを食べてくれた☺️。そして、眠るように旅立った。その顔も穏やかだった。そして、施設で暮らした義母の写真はどの場面も笑顔だった。それが、遺された私達のその後の救いで、今でも変わらない。毎週、面会に通って車椅子で散歩をしたり、色々とさせて貰ったなぁ。 友人、施設長の言葉に救われた。そして 私は、家族の病状で悩むナース、友人に 『いいんだよ。家族だもん。その為にプロがいるのよね』と伝えている。 義母には、嫁と認識されていなかったが😅家族に徹していられたことは、幸せだったなぁ。 優しく微笑んでいる義母の遺影に癒されている。 友人のYさん、施設長さんご無沙汰していますが私の心を救ってくださり、本当にありがとうございます。感謝の思いしかありません。

あなたも心救われる言葉や人に出会えますように🍀

今日も相変わらずでした‼️ 感情です🤗

 

〈Voice. 74〉『あなた達がいなくなったら、どうにかなってしまうよ』

これは、昔、小学生の時に母が言った言葉。近所の年上のY君が、突然行方不明になった。Y君は、今でいうと軽度の知的障害があったようだ。とても、おとなしい、優しく、真面目な性格だった。 当時は、インターネット、携帯電話も無い昭和のまあ良き時代だったかなぁ😊。ご近所のみんな、家族総出で、お巡りさんや、学校関係者とY君を探し回った。 皆、Y君の特性を知っていたから、尚更、心配して懸命に探した。私は、母と一緒に、林や畑、河岸などを探し歩いたのを覚えている。その時に、母は『もし、あなた達がこんな風にいなくなったら、お母さん、気が狂ってどうにかなってしまいそう』と言った。私はとても意外に感じて、内心、びっくりしたのを今でも覚えている。当時の私は、母がとても厳しかったので、子ども心に母に嫌われていると、頭の良い兄の方が好きなんだ🥺と思っていた。

Y君をさがしながら、母の言葉がだんだん、心を占めて嬉しくなったし、「お母さん、私のこと嫌いじゃなかった」と思え、何だか満たされたような?感じだった。Y君は、無事に見つかった。母は、「おかえり、良かった!それだけでいいのよ!」と言っていた。皆は「良く帰ってきたね。お腹すいたでしょう。頑張ったね」などとY君を労い暖かく迎えていた。本当に、みんな、暖かいなぁ。その後、Y君のお父さんが、一軒一軒の家に、お礼周りをし、私の家にもきた。Y君とお父さんは、良く似ている。顔を赤らめ、涙を浮かべながら、嬉しそうなY君のお父さんの顔は、今でも覚えている🤗

その時の母の言葉と思いは、その後の私のアイデンティティをしっかりとした ものにしてくれた。それは、「私には帰る場所がある」「何があっても、迎えいれてくれる人がいる」という、安全地帯と帰属できる場所となり、信頼と絆を教えてくれ、今でも変わらない🍀。それは、私が社会人になり、大きな挫折と過ちをして、心身ともにボロボロになったときに、迎えいれ、労い、支えてくれた。ありがたいなぁとつくづく思う。母の言葉は、拉致被害者の家族、誘拐事件などをテレビ📺で見るたびに心の中で囁くVoiceとなり、被害者の人々の気持ちに思いを馳せる。 そして、中学生の時、人気者、お調子者ねS君がプチ家出をした🤣またまた、皆で探し周り、当時、S君の親友の冴えないM君が必死で探し、S君を見つけた!みんなで「M君、さすが‼️」となり、ふだん冴えないM君が一時、ヒーローみたいになったなぁ😃今、2人とも 地元で家業を継いで、立派にやっているみたい👏

母の言葉は、大海原のような愛情と信頼を、ご近所さんからは、人々との助け合いの大切さと暖かさを教えて貰った。 私もこのような助け合い、支え合いが できるようになりたいなぁ☺️

あなたも帰る場所、人の懐と巡りあえますように。もしかしたら、あなた自身がだれかが安心してかえる懐のような存在かもしれません❣️ 暖かい、大切な経験と思い出に感謝をこめて🥰

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.75〉『同じ土俵に乗らなくて良かった』

その① これは、親友のKさんが私に言ってくれたこと。 関わっていたTさんが、ある宗教に入信はした。その宗教の人が私に会いたいと毎日メールで伝えてきて困っていた。会うつもりは無いとTさんから伝えても、無駄だったのではっきり、お断りする必要があり、その宗教の人と会った。その宗教は、しつこい勧誘で有名だった。また、最近、駅などでの勧誘も盛んにしている。私は会う前に、次のことを決めていた。①相手の宗教を否定しない②自分の宗教をはっきり伝える③信仰上の話教典などの話しには乗らない。 私「あなた方の宗教には入りません。 私は信仰を持っています。今日はそのことをはっきりお伝えしようと思い来ました。あなた方の宗教を否定はしません。 お話は聞く必要はありません。」と伝えた。宗教の人「えーそうなんですか。 何の宗教ですか?」と怪訝な顔になった。私「キリスト者です。」と応えた。 すると宗教の人は「神って居ないですよね!わかってます?今、中国が大変な事になっているんですよ、私たちの、」 私「いえ、お話は聞きません。政治的なことは別問題です」と言ったが、なお話しを続けようとした。隣りにいた親友Kさんと「これ以上は聞きません。失礼します」と言って、その場を去った。大声で「人の話しも聞かずに、逃げるのー!」と、背中に受けたような感じだった。心の中で、『逃げるが勝ち!』と 去った。しかし、心の中は、不全感とモヤモヤが残りながらも『神様は私の心にいる』と強く思った。

相手の人達の印象は、嫌な粘着気質だった。モヤモヤしていたが、親友のKさんの「同じ土俵に乗らなくて良かったです」の言葉に救われた思いだった☺️信仰と学問を積み重ね、日々修練しているKさんからの言葉は心に響き、納得できた!

では、「同じ土俵に乗る」というのはどういう状態なのかなぁと振り返った。 それは、「神は居ない」と言われ、身体が震え、怒りが込みあげてきた時に、感情に任せて、相手に対抗した時をいうのだろう。もし、そうしていたら、言いたいことは、言えたかもしれないが、建設的な展開にはならず、醜いバトルになったと思う。「同じ土俵に乗らない」ことの意味深さを実感した出来事だった。その時は、身体の震え、動悸、怒り、胃はキリキリ、交感神経が活性化しアドレナリンは大放出状態が暫く続いた。もし、あなたが同じような場面に遭遇した時はどうするかなぁ。例えば、「言いたいことが言えなかった、情けない」などと自分を蔑む必要はないよね。あなたは、充分自分と闘ったんだよね。 私は、この時「キリスト者です」と言えたこと、相手の宗教を否定せずにおれたこと、感情的にならずにいれた自分を 嬉しく、誇りに感じる。これも、神様からのお恵みだなぁと。

だってね、宗教間で争ったり、互いに否定し合うことを神様は望んでいないと思うの。対話を望んでいると思うの🥰だから、対話という形で「同じ土俵に乗りたいなぁ」🍀 そして「同じ土俵に乗らなくて良い」と言うことは、自分の感情をありのまま捉えることに導いてくれることに気づかせてもらった、貴重なVoice☺️ 今は、Kさんとこのような体験をさせて下さった神様に感謝!でも、あの宗教の人たちには、もう会いたくないなぁ😅

あなたも、修羅場のような場面で救いとなる声に出会えますように🌸

今日も相変わらずでした❗️ 感謝です🤗 皆様、明日は足もとに気をつけてくださいませ💕

 

〈Voice.76〉 『同じ土俵に乗らない②』

毎月のグループ研修に参加した時の こと。研修が終了し、片付けをしていた時だった。リーダーが私の所にきた。 私の胸にあるマリア様のメダイをいきなり手に取った。あっけに取られていたら その人は、私に「私は聖公会、マリア様はただの女」と言い、ふふっと笑い立ち去った。私は、「そうですか」としか言えなかった😔。きっと余りにも突然で 驚いたのだろう。そして、帰り道中、段々と腹立たしくなり、胃がキリキリ、身体が熱くなるのを感じ、悲しくもなった。大好きで、憧れていて、尊敬する マリア様を侮辱された悔しさ、何度も言えずやりきれない思いになった🥺。でも、バトルにならなくて良かったとも 思った。だって、イエス様もマリア様も そんなこと望んでいないと知っているから。それにこのような思いは、イエス様、マリア様も沢山されたと。悔しさ、悲しさ、怒りは親友にメールで伝えた。 親友も、バトルにならなかったことを良かったと。私は、これからもきっとこのような事はあるだろうなぁと思った🍀。

これは、自分の信仰が試されているのだとも思う。正直なところ、私には、聖公会、◯✖️会などの教派はよく分からない😂シンプルにイエス様、マリア様を信じて、聖書と祈りから沢山の日々の糧を頂いているカトリックのキリスト者なのだ。しかし、「タダの女」って、どう言うこと⁉️マリア様にも、世の中の女性に対しても失礼だよなぁ😤その人だって女性なんだよー😳暫くしてから「あっ、私、同じ土俵に乗らなかったんだ」と気づいた(鈍感だよね😙) 「同じ土俵に乗らない」って、やっぱり 自分の吹き出しそうな思い、マグマのような思いを押し殺すような感覚になるなぁ。でも、堪えることができたのも、お恵みなのだなぁ。 でも、これがマリア様では無く、私の大切な家族や親友、恩師に対して侮辱されたら、短気で導火線が短い私は火花を散らすかもしれない🙃。その自分もちゃんと心の中にいることを自覚しておきたいな。

今も月に一度は、その人と顔を合わせる。何ごとも無かったかのように。 バカボンのパパのように「それで良いのだ」 こんな声、あんな声に出会いながら生きていることを実感できているよ☺️

でも、あなたにはこのような声では無く、暖かい、優しい、沢山の声に出会って欲しい🥰お互いに暖かい、優しい声を掛け合う存在になれますように💕 皆様、明日も足もとに気をつけてくださいますように☺️ 今日も相変わらずでした❣️ 感謝です🤗

 

〈Voice.77〉『皆に心配かけたくない』

これは、介護福祉士養成校の教員になってまもない頃に、聴いたVoice.高卒の女子学生Aさんが、言った。Aさんは、いつもお化粧バッチリ、つけまつ毛(エクステと言うらしい😂)で、瞳もパッチリ!時折、ミニスカと編みタイツで周囲の注目を集めていた。「編みタイツの子」と言われていた☺️。18歳のAさんは、おじ様、大人の男性の心を掴むのも 上手!「◯◯せんせーい❣️」「◯◯理事長〜💕」と手をやや下から斜めに、にこやかに振りながら、呼びかける。 「流石だなぁ!私には絶対にできない🙃」といつも感心していたよ。だが、困ったことに、学習は・・・😅詳細は忘れたが、何やら問題となり私が面談することに。同時、37歳の私。それを知ると「ウチのママと同じ年!」と。「あらっ!大変!😊」と笑ったのを覚えている。面接を始め、Aさんから語られたのは派手で艶やかなメイク💄とは真逆の色調の出来事だった。家では居場所が無く、色々な悩み、悲しみを泣きながら話した。Aさんの涙は、マスカラやアイラインの色が混ざっていた。その度に ファンデーションケースの鏡で、顔を直す、また涙で崩れるの繰り返し。ティッシュを渡しながら「思い切り泣いていいよ。」と伝えるとAさんは、「こんなボロボロの姿、皆に見せられない、皆に心配かけたくない」と泣き笑いしながら鏡を覗きこんでいた。周囲への気遣い、必死な姿に健気だなぁと思った。父親に「身体を売って学費を稼げ」と言われていたり、色々あり、Aさんの心の支えは彼氏だった。私自身が18歳の時には、想像もつかない世界にAさんはいた。Aさんのメイクや様相は悲しみ、辛さをカバーする役割を担っていたのだ。当時は、学生さんが多様な問題を抱えていて、面接時はティッシュBoxを持参していたなぁ。 学内なAさんの友達の可愛いBさんも 「先生、ウチのオヤジも身体売れっていうよ」とケラケラしながら言った。私は、思わず「なんてこと言うの!オヤジ、呼んできて😡!」と言ったのを覚えている。AさんもBさんも、学習に身が入らないだけで、頭の回転も良く、賢い学生さんだった。その後、しばらくして2人とも退学した😔。残念だったなぁ。

2人とも、学習すれば、資格もとれきっと、人の痛みを感じられ、明るく気の利いた介護福祉士になっていたと思う。その後も、似たような学生さんに出会うたび、街中でバッチリ👌メイクをした女子高校生をみると、「彼女たちは 内面に何を抱えているのかなぁ?」と思いながらAさん、Bさんのことを思い出す。周囲の大人である私達、そのような若い人に暖かい眼差しを向けていきたいなぁ。あれから、約20年が経つ。今ごろあの2人の学生さんはどうしているかなぁ。ママになったな?どんな道を歩んでいるのかな?

Aさん、Bさん、貴女達は周囲に配慮できる、そして我慢強い女性です。貴女達との出会いは、私の視界を広げてくれ、人の内面に思いを馳せるきっかけをくれました。外見のみで人を判断しないことの大切さに気づかせてくれました!ありがとうございます。私は、ずっと貴女達のことを覚えていますよ😊元気でいていてくれたら、嬉しいなぁ😃

あなたの内面の悲しみ、苦しみに気づき思いを馳せてくれる人に巡り合えますように。

今日も相変わらずです❣️ 感謝です🤗

 

〈Voice.78〉『大丈夫です。不利益は被らせません!』

これは、4年前の2/16に、私の気持ちを救ってくれた大切なVoice!4年前のその日は、大学院の入試、一次試験の日だった。私の家から四ツ谷のキャンパスまで約90分以上かかる。私は、前日の朝に入試のリハーサルをして、電車に乗りキャンパスまで行き混雑具合、トイレ等色々と確認した。そして、翌朝、最寄り駅に早めに着いた。駅は、人だかりで皆がウロウロ。その日は、高校受験日でもあった。人身事故が発生したばかりだった。最寄り駅まで、バスで30分弱かかる。その間に事故が起きたのだった。路線バスで別の駅に行き、別の路線に乗り換えたが、バスは渋滞にハマり、別路線の電車に乗れたが、トラブルで急行列車が各駅停車のスピードになっていた😣。その上、電車は超満員でキュウキュウ。汗だく💦になり、揺られていた。試験開始時間は過ぎていた。絶望感に襲われたなぁ。色々と思いめぐらしていた。一年前から、社会人向けの大学院受験対策予備校に仕事の合間に通って準備したこと。予備校からは、宗教学の対策をできる講師はいないので、指導は無理と言われたなぁ。でも、専門科目以外の小論文と英語だけ見て欲しいと食い下がった。違う分野の先生方が、私の小論文を読み、意味内容が通じなければ その小論文は提出する意味が無いし、受験をクリアする内容に至らないと伝え、指導を懇願したこと。原因不明の痛みに襲われながら、受験対策したことなどが 頭を巡り、これで受験出来なかったら? などと考えていた。  ようやく、四ツ谷について、キャンパス、教室まで走った。痛みと、動悸で思うように走れない🤣でも、走った!教室が見えたが、息が続かず、、すると、入試担当の方が駆け寄ってきてくださった。私は、息ぎれで声がなかなか出ず、状況を伝えるのが困難だった。その方は、「電車の事故ですよね。お疲れ様でした。大丈夫です!試験は受けれます。不利益は被らせません!」とはっきり言って下さった。とても安堵し、救われる思いと嬉しさで身体が震えたのを覚えている。だいぶ遅れて試験を開始したが、全て受験できた!試験中に、汗が冷えて寒気がしたが💦安心して受験できた。受験生として守られていると感じた。試験の手応えは五分五分だった。その時、「受かるまで受験する!」と決心できた。それは、安心して受験できたからだった。55歳までは、受かるまでチャレンジしようと😊。青天の霹靂か?無事に入学できた。

私に救いの言葉をかけて くださった方は、研究科の事務職員の方だった。その方は、仕事として当たり前のことだったかもしれない。でも、私にとってはその後、学習、研究をしていくなかで「大学が学びを保証し、守ってくれる」と思え、安心感を得られた大事な出来事であり、言葉だった。毎年、受験日になると必ず思いだす😊。早いなぁ。あれから4年経った。お陰で、私は沢山の素晴らしい先生方、先輩方、仲間、書物、信仰と出会い、何にも変えられない時間を過ごすことができた。55歳で卒業できそうだ。

ただ、4年前のその日は、理由はわからないが1人の人が自ら命を絶ったのも事実。私は、そのことよりも、自分が受験できるか否かしか考えていなかったのだ。人身事故と言う出来事があったから、私は救われるような言葉を言って頂いたのだ。これからは、その日に亡くなった人に思いを馳せていきたい。何処の誰なのか、どんな人かわからないけれど。 研究科事務の方、本当にありがとうございました!

あなたが窮地に立たされた時に、救いの言葉や出来事に出会えますように🍀あなたも誰かの窮地を無意識に救っているメシアのような存在かもです🥰

今日も相変わらずでした❣️ 感謝です🤗

1月〜2月受験や様々な検定試験なども 多い時期。受験生の皆様に暖かい、希望に満ちた春🌸が来ますように☺️

 

〈Voice.79〉『No problem! You are positive❗️😊』

これはとっても嬉しいVoice! 大学院1年生の秋学期だった。兎に角、英語に自信がなく、英語をちゃんと学びたいと思い、学部の英語の授業を受ける手続きをした。研究科学科主任教授、研究指導担当教授の許可を得て書類を教務課に提出した。授業初回から、目が点🤣。辞書は使用禁止で、外国人女性の先生が明るく英語のゲームやトピックスをふんだんに使いながらの授業😂。周囲は1年生の若人ばかり。学部生さんのお母さんより 年上な私?。楽しい感じであった。それも束の間、教務課から呼び出しがあった。訪ねると大学院生の私は、この英語の授業を受けれないとのこと。要するに、この授業は基礎共通科目で、院生である私は授業内容をクリアしていて当然という前提だった。「ちゃんと手続きを踏んで受けている。許可したのは大学の方なので、何とかして欲しい」と食い下がった。教務課の人は、「こちらの確認ミスですいません💦。言語学センターの授業なら受けれますよ」と言った。 私にとって、言語学センターの授業はハードルが高いと思っていた。その旨を伝え、さらに食い下がった💪。すると、教務課の人は、気まずそうに「すいません💦こちらでは許可できません。あとは授業を担当している先生にご相談ください」と。当時は、コロナも全くなく、当たり前に教室で授業だった。心の中で 「やったぁー!先生に直談判!潜りで授業に参加できるかも✌️」と期待を胸に教務課を去った。が、しかし、、 先生は日本語を喋れない。つまり、英語で伝える⁉️やるしかない!発音もからっきしダメ🙅‍♀️。ノートに書いた。「I can’t participate this class because University don’t permit me. I am a graduate student. I am weak English so I want to learn English your class」 当時は、これを伝えるだけでもど緊張と 不安に襲われる状況だった。何度も読む練習をした。授業の課題よりも、こちらが大切だった😣。そして、先生の前に行き話そうとしたが、緊張、結局ノートを棒読みし、先生にノートを見せた😭。 すると先生は、優しく微笑んで「OK! No problem! You are positive. good👍」と言ってくださった。あまりにも 素敵で嬉しくてチョー感動したよ😙それから先生は「Do you need a credit?」と、「credit?💦 No!I only want to be able to read and write English!」と辿々しく答えた。先生は「Very good!」と握手をしてくださった。そして、潜りで授業を受けられた。

英語のある日は、午前中、英語の授業、午後は非常勤の仕事、夜に大学院の授業とハードだった。そして課題についていくのも大変、遅れて提出してもみてくださり、メールでも受け付けてくださった!だから、私は頑張れた。私は「Can I use English dictionary?」と。先生は「OK! No problem!😊」と。周囲の学生さんにそのことを伝えたら、皆「大丈夫だよ、辞書は持ち込まないけど、これがあるから😁」とスマートフォンを使用していた。私はまだガラ携帯📱でした。そして、若い人たちに大いに助けて頂き、迷惑をかけながらもエネルギーを頂きながら授業に参加できた。英語に関しては、4年間、同じ研究科の仲間の皆様にも沢山教えて頂き、協力していただいた。メールのやり取りを英語、英語で手紙を書いてみる。英語の文献の読み合わせなどなど。英語の先生と皆さんには、感謝してもしきれない。おかげで、その後も 英語の学習、トレーニングは継続できている。

実は「credit」は「単位」と当時は分からず、頭の中で「クレジットカード?でもカードって言わなかったよね」と大混乱していた🤭近くにいた学生さんが助け舟をだしてくれた。ここだけの話😃。今は、聖書、本、簡単な記事も読めるようになりつつあり、楽しい。先生の言葉は、その後、英語で躓きそうになるたびに、私を励まし背中を押してくれている大切なVoice。年のせいにして、図々しく攻め入ったのを優しく受けてくださった先生。私も先生のような人になりいなぁ🥰 先生、皆さん、本当にありがとうございます!英語はずっと学んでいきます。

あなたが、何か壁に遭遇した時に「No problem!」と受け入れてくれる人に出会えますように🌱🌷

今日も相変わらずでした❣️ 感謝です😊

 

〈Voice.80〉『間違ったら相手が正してくれますよ!』

これも、私に勇気をくれ、背中を押してくれた大切で嬉しいVoice❣️ 学部の英語の授業は、グループで課題に取り組むことが多かった。英語を話すことに、極度の緊張と不安を感じていた。良く一緒になる学生さんは、とても自然に楽しそうに英語を話していた😊。ある時、「海外で生活されていたのですか?」と訪ねた。すると「全然、行ったこともないっすよ」とサラリと答えた。実は、私も海外は一度も行ったことがない💦。日本も本土を離れたのは3度だけ😅。思わず「どーして、そんなに話せるのですか?」と聞いた。すると、「英語は好きで、兎に角、英語を口にする。喋ってみる!間違ったら、相手が正してくれるから気にせず喋ってた」と答えた。目から鱗!「相手が正してくれる?」と聞き返したら「そうっすよ。だから、気にせずに声に出しまくっていいですよ」と。なんとまぁ!素晴らしい‼️「間違えたら恥ずかしい」「間違えたらどうしよう」などばかり思い巡らせていた私の頭に、冷たい🧊氷水をかけられたように目が覚める思いだった。

相手を信じ、臆することなく声にだす。しかも、姿勢も爽やかだ🥰。それから、私も少しずつ英語を口にするようになれた。間違えてもドンマイ!単語が浮かばないことも多々あったけど😂声に出せない時は、紙に書いて提示したり、正直に助けを求めた。すると、「実は、私も英語苦手なの」と言ってくれる人も出てきて、安心したなぁ。その時から今でもその学生さんが言ってくれた言葉は、私の背中を押してくれ続けている。外人さんを見る度に、また知り合いの外人さんと会話をしようとする度に思いだす。『間違ったら、相手が正してくれる!』素晴らしい‼️。相手を信頼し尊重しているからそう思えるのだろう。 その学生さんは、私に言ったことなど忘れているかもしれないなぁ😃。でも、私の心にしっかり刻まれているよ!ありがたいなぁ。この春に卒業されるのかなぁ。息子になってほしい位、明るく、爽やかな、素直な青年だ😊

英語の臆病風にかかっていた私に勇気をくださり、背中を押してくださりありがとうございます❗️ 私も、誰かの背中を押せるような人になりたいな☺️ 私は様々な声に助けて頂いきながら、生きている。幸せだなぁ🥰

あなたも、勇気をくれ、背中を押してくれる人と巡り会えますように❗️

今日も相変わらずでした❣️ 感謝です🌱😊

 

〈Voice.81〉『何かあれば、お手伝いしますよ😊』

これは、私にとって嬉しく暖かい気持ちにさせてくれたVoice! 野宿生活をしているIさんは、一見すると野宿の人に見えない。身綺麗でなかなかおしゃれ。Iさんを最初に見かけたのは去年の夏だった。サングラスに短パン、上半身裸で、颯爽と拾い集めた空き缶を肩に担いで川沿いを歩いていた。その姿は、まるでサーファーのようだった。やや強面に感じ、私達、仲間の間では「サーファーの人」と読んでいた。 Iさんのテント、周辺は生活の工夫や 空き缶拾いを生業としているこだわりに あふれていた。声をかけられず月日がながれた。ある冬の日、いつも声をかけている初老の男性と笑談している人がいた。色々なことを教えてくださり、まさか野宿とは思っていなかった。「どちらからお見えですか?」と尋ねたら、例のテントの人だとわかり、思わず「サーファーの人!」と言ってしまった😂。するとにっこり笑って「良く言われます」と。私達は、声を掛けたくても、掛けられなかった理由を伝えた。すると「大丈夫ですよ。いつでもどうぞ」と言って下さった😊。それから、声をかけられるようになった。Iさんは、私に「皆、路上の人は色々な人がいる。本当は、声をかけてほしいのに、真逆の態度をとる人もいるよ」と。私は、野宿の人に声をかけるのは勇気がいること等を話した。するとIさんは、優しく微笑んで『何かあればお手伝いしますよ。俺でよければ。 色々な人がいるから、平さん達が疲れないように・・・』と言ってくださった❗️とっても嬉しく😍これまで活動を続けてきたことが報われたような思いにもなった。心が暖かくなった。

私達が行っているご飯配りも巡回看護も様々な人々が支えてくださり、成り立っている。元野宿の人が、ご飯配りの準備や配るのに参加してくださっている。そして、街中を周り誰の支援も届いていない野宿の人の情報を集めて伝えてくださる。当事者目線で大切なことを色々と 教えてくださる。私が巡回看護で野宿の人のお話を聴いたり、ケアしている間、少し離れた所で待機してくれるスタッフがいる。大人数で、野宿の人にプレッシャーを与え無いようにとの配慮から、支援物資と携え待機してくれている。暑い😵中でも、寒く中でも。時には、病院同行もしてくれる。野宿生活に使えそうなアイテムを手作りしてくれる。そして、対応困難な状況になると、親戚の方を呼んででも一緒に対応してくれる。野宿経験者と私達スタッフのチームは、最強だと思う😊。

そして、Iさんのように現地で協力してくださる人も大切なチームメイトだなぁ。小さなでも、心のこもった活動を皆で時には、揉めながら?😵、「雨降って地固まる」状況を経ながら継続できることをとっても誇りに思う。 この活動は、私にとってかけがえのない宝物。

自称「青空ナース&エプロンナース😄」。看護の道に入り、30年以上が経つけれど、やっと自分らしい看護に出会えた気がする。最新の医療機器は無い、アネロイド気圧計と聴診器、自分の手を使い脈をとり五感と観察力、コミュニケーションなどの道具をいつも使わせて頂いている。だけど、これまでの病院や在宅訪問看護、教員生活で沢山教えて頂いたことが、あればこその今なのだと実感している。ありがたいなぁと思う。 支援する側、される側などの垣根を越えたチームの素晴らしさを体験させて頂いている。困難もあるけど素晴らしい‼️

Iさん、優しくしてくださり、ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します😃

あなたも心暖まるVoiceに出会えますように❣️

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🥰

 

〈Voice.82〉『明日まで気持ちが保つかわからない』

私にこのように話してくれたのは、 高校生のAさんだった。受話器の向こうで「繋がるとは、思わなかった」と、言い泣き始めた。泣きじゃくりながら、話そうとするが言葉がなかなか出てこない。私は「ゆっくりでいいですよ。無理に言葉にしようとしなくても大丈夫」と伝えた。暫くの間、号泣し落ち着いたところで、ヒックヒックしながら話し始めた。多量の眠剤を手にしている。一気に飲もうとしたが、出来なかったと言いまた泣き崩れた。内心、緊張と焦りを感じた。これは、悪質な悪戯や芝居ではない。本当の状況だと感じた。張り詰めた空気を感じながら、深呼吸をして、私は「繋がって良かった。ありがとう。落ち着いたら話してほしい」と伝えた。心の中では、「神様、アヴェ・マリア、、」と唱えていた。藁にも縋り付くような思いだった。

Aさんは、不治の病の母親と2人暮らし。ヤングケアラーだ。母親の介護は制度を利用しながらしている。でも、彼には兄弟もなく、全てが彼の肩にのしかかっていた。Aさん自身も不調を抱えていた。終わりのない、先が見えない絶望感の中、自分の将来の不安や絶望について、友人などに話したが、ドン引きされてしまったと。死にたいほど辛いが、母親のことを思うとそれもできず、また死ぬのが怖い。そんな弱い自分も情け無いと。やっとの思いで話してくれた。私は、「Aさんは弱い人ではない、死ぬのは怖いよね。」今日まで踏ん張ってきたことをねぎらった。Aさんは「そうかなぁ。来月までに役所に書類を出さなきゃ」と話した。少し先の未来について語ったことにやや安堵した。側にいたら、ホットココアかホットミルクをお勧めしたいような気持ちになっていた。Aさんは、「今夜はオーバードーズをしなくてすみそうだ」と言ってくれた。だが、泣きそうな声でAさんは、「この気持ちが明日まで保つかわからない、、」と。そうだよなぁと思った。私は、Aさんに「明日のことは、誰もわからないよね。だから、今夜だけでもその気持ちを保てるといいね。明日、辛くなったら、またここでお話をしてほしい。私以外の人でも、貴方の思いをちゃんと聴いてくれる。」と伝えた。Aさんは、「本当にいいの?」と何度か聞いてきた。私はAさんにここに繋がったから、もう1人ではないことを伝えた。Aさんは、繋がって、話せて良かったと言ってくれた。凄く長く感じたし、どっと疲れたなぁ。

誰もAさんの代わりを生きることはできない。なんとも言えない複雑な思いだった。私の傾向は、相手に対して「良い方向に行ってほしい。」などのような思いが強くなりすぎること。その自分の思いが先行して、バリアとなり相手の人が正直な思いを伝えにくい状況を作ってしまうことがよくある。それで、傾聴できない時もあり、後から気づいて後悔したり、がっかり😞したりする。心の中でお詫びをしたりする。 今回、もし「オーバードーズを直ぐに止めなきゃ!」と言う思いに囚われ、焦っていたら、どうなっていただろう?と思うと今でも背筋がゾッとする。ただ、状況によっては直ぐに止めさせるのが必須の場合もある。 「明日のことは、わからない、今夜〜」と伝えることができたのは、かつて私がこのように言われて救われたからだ🍀

人の気持ちや思いも移り変わるものだよね。だから、その時々の気持ち、思いを伝えてほしいなぁ。 あなたは、Aさんのような話しを伝えられたら、ドン引きするかなぁ?それは、それで自然な反応だとも思う。私も内心 ドン引きし、逃げたかった。でも、Aさんの様々な困難から逃げない生き方が、私をその場、空間に止まらせてくれたのだと思う。それは、お互いの相互作用なのかもね🌱

「明日まで気持ちが保つかわからない」 は、人の気持ちの移り変わりを肯定しながら、一瞬一瞬の気持ちの積み重ねの大切さに気づかせてくれる貴重なVoice. 愛情だってそうだよね。『永遠に君だけを愛し続けるー』というような歌があるが、愛せない時だってあるよ😂

あれから、Aさんはどうしているかは 知る術も無い。 Aさん、思いを伝えてくださりありがとうございました。ずっと祈り続けています。

あなたも、あなたのその時の思いを受け止めてくれる人に巡りあえますように。 そう、ホットミルクのように暖かく、優しくね💕

今日も相変わらずでした❗️ 感謝です🌷😊

 

〈Voice.83〉 『祈ることしか出来なかった』

時折、この声に出会う。『祈ることしか出来なかった』と話してくれる人達は、大抵の場合、愛する人、大切な友人、仲間が何か大変な状況いる。その状況の中で、時には側にいたり、共に悩んだり 苦しい思いをしたりしている。そして、 『祈ることしか出来なかった』と言う心の奥には、無力な自分を責めていることが多い。その人の為に祈っているのに、なぜこのように思うのかなぁ🤔

祈りは、形に残るとか、祈れば必ず 解決すると言う明確な保証もない。心の中での祈りは、他者からも見えない。神様もそうだが、人は目に見えない、形にならないものを信じ続けるのは難しい。ましてや、現代は物事がいち早く、可視化できる時代だよね😉だから、見えにくい、形になりにくい状況に確信を保つことが難しいのかなぁ。  祈りは、信仰宗教の有無に関わらず 国、地域に関わらず、年齢、性別、時と場所を問わず、人間である以上、誰でもできることだと思う。人は、自分達の力ではどうにもならないと感じると自然に、無意識に祈っていることもあるよね。そして、祈っている時はその人のこと、その事態のことを思い必死に、一心不乱に祈っているとおもう。その時の心情やエネルギーが数値化できないし、有形化もできない。でも、そんなことお構いなく祈るその心は、一言では表現できないほど尊いものだと感じる❗️深い深い愛情の現れだと思う❗️そう、『祈ることならできる』のだよね。だから、『祈ることしか出来なかった』『祈ることしかできない』と自分を責めないでほしい。むしろ、あなたが抱いている他者への深い愛情と謙虚さを持ち合わせていることに、あなた自身できづいて欲しい。 私は、長いこと祈り続けていることがある。「世の中で、誹謗中傷をしている人、暴力、殺人、戦争をしている人々の心に安寧が訪れ、共に平和のために祈れる日がきますように・・」と。毎日祈っているが、なかなかそうならない。でも 祈り続ける。祈ること、小さな平和の種を蒔くことが、キリスト者である私の生きる道として神様が下さったと。小さな平和の種は、私と関わってくださる人々が少しでもほっこりしてくださること。 微笑みを忘れ無いこと🥰

祈りに関する言葉 「祈りを、肺からでる息、心臓から送り出される血液の様なものだと思えばいい。血液は常に流れている。意識はしないが決して途切れることはない。」

〜F・オズワルド・チェンバーズ〜

「あらゆる時、あらゆる場所が祈りのための時であり、場所なのです」 〜シエナの聖カタリナ〜

 

『祈ることしか出来なかった』は、あなたの深い慈しみと愛情、謙遜に気づかせてくれる意味深いVoice. あなたのことを祈ってくれる人々と出会えますように。互いに祈れますように❣️

プーチンさん、金正恩さん、あなた方の 心に安寧がおとずれ共に平和のために 祈れる日がきますように🌱

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

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9月 9, 2026

Voice No.67~74を追加しました

<Voice.57~No.64 20222年1月1日~1月16日>

〈Voice.57〉『開けなさい』

この声は、不思議だった。今朝、初日の出に向かい祈りを捧げていた時に、低い声で囁やくように聞こえた。「あけまして、の挨拶⁉️かな?」、違う気がした。この声の意味を考えながら、缶詰め状態で修論のラストスパート😅 夕方くらいに、ふと「自らを開いていきなさい」という意味かなと思えた。 『色々な方向に、色々な人々に自らを開いていきなさい』と神様が言ってくださっているように感じた。でも、私には 『開けなさい(あけなさい)』と聞こえた。確かに😌これは、きっと「自らを 開け渡しなさい」と言うことかもしれない。なかなか難しいなぁ。ただ、そういう生き方をするように導かれているのかも。欲望や執着にまみれている自分を 開け渡し、惜しみなく開いていくこと。そのように日々、丁寧に修練しながら 生きることで、何か味わい深い心持ちに 出会えるかもしれないなぁ🍀 うんうん、焦らす、ぼちぼち、自分を 開いていこう😊 あなたも、あなたを導いてくれる声に 出会えますように❣️ 皆様、改めまして あけましておめでとうございます㊗️ 本年もVoice 共々宜しくお願い致します 🙇‍♀️ 皆様にとって、素敵な一年になりますように💕

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice. 58〉『もう、慣れました』

この言葉は時折耳にする。この人は、慣れるまで結構大変だったのかなぁと思う時がある。『もう・・・』と言う言葉が 鍵の様な気がする。例えば、『もう、いいよ』と言う時は、『もう』の中に、『色々あったけどね』『十分だよ』または諦めの気持ちを抱いている場合もある。では、『もう、慣れました』は? きっと、そのことから逃れられない状況、始めての事でやり方も難しく、なんどもやったこと、ひたすら忍耐しなければならない状況などのプロセスを経て 『もう、慣れました』となる気がするなぁ😌だから、『もう、慣れました』は 人間の順応力、適応力、努力、積み重ね、忍耐、などなどの素晴らしい側面を秘めていると思う。 ただ、懸念する部分もある。慣れてしまい当たり前に、または習慣化すると、人間はそれまでのプロセスを忘れたり、 盲目的になることだ。すると、秘めた力や感謝の気持ち、初心を忘れてしまう。あとは、『慣れるのが、望ましくない 状況がある‼️』ことも忘れないでいたい!いじめ、DV等の環境下に置かれている人々のこと。その様な環境に慣れてしまわないとそこでは、生きていけない。そんな環境に慣れなくても良い社会にしていきたいなぁ。 これから先、『もう、慣れました』と言う声に出会ったら、その人の努力、積み重ねなどを労い、その人の秘めた力を共に喜びたいなぁ。そして、初心や感謝の 気持ちを忘れないように、自分に語りかけていきたい😊 『もう、慣れました』はお互いの沢山の秘めた力に気づかせてくれ、初心にたちかえらせてくれるVoiceだな😉 あなたが、自分に対して『もう、慣れた』と思った時は、それまでの自分を認めて労って欲しいなぁ🍵そして、互いの秘めた力に気付き、喜びあえる出会いがありますように。

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.59〉『バカァ−、バカァ−』

これは、カラスの鳴き声。『カァ–、カァ–』と鳴くことは、少ない気がするなぁ🤔愛犬の散歩中、洗濯物を干しているなど、よく聞こえる。この鳴き声に馴染んでいる。以前は、この鳴き声を聞くと内心、「どーせ、私はバカァですよ❗️ふん!💢」と思ったり、「カラスにまでバカァと言われて、惨め😥」と自己嫌悪になったり、なんとまぁ、内心色々と忙しかったこと!😁でも、カラスは私の心境など知ったこっちゃ無い。カラスは勝手に鳴いているだけ。聞く側の方で、その時の気分や状況、心境で 受け取りが変わっているだけ😌不思議だなぁ(^^) 最近の私は、この鳴き声を聞くと 「カラスも元気な声だなぁ!うんうん、いいぞ。」となる。そしてある歌を口ずさむ・・・♪「わたし馬鹿よねぇ~ お馬鹿さんよねぇ−♪ 後ろゆーび、後ろ ゆーび サーされてもー♪♯」そして 1人で受けて、ほのぼのしているのだ😙 なんて、天然⁉️😅でも、今の自分のほうがチョッピリ好きだなぁ🥰

そうそう『これでいいのだ!』👏✌️ 折角、色々な声を耳にして感じとるなら、耳触りの良い方に感じたい。 今日も3回、違う時間にこの声を聞いたよ。カラスは寒い中でも、今日も元気! よかよかねー☺️ あなたも耳触りの良い、ほのぼのした Voiceと出会え、心が温まりますように🌺

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.60〉『負けて勝つという生き方もあるのよ』

これは、10年前に歳上の女性Kさんが言ってくれた言葉。当時、コミュニティーの中心的な役割を担い、あるプロジェクトを進めていた。メンバーの中に、私が1番嫌いなタイプのご婦人がいた。 ①猫撫で声で話す ②金持ち、社長夫人を鼻にかける ③手はださず、口だけだす ④言いにくいことは、全て夫に代弁させる ⑤手柄は欲しいが、自分では何もしない ⑥自分中心の語りなので、何を言っているのか周囲には伝わらない ⑦肩書きとプライドにこだわる とまぁ、本当に嫌だった。こんなに、列挙して、神様ごめんなさい🙏本当にこの様な人だった。私と意見が合わないと 「お宅のご主人は、どうなのかしら〜?」と。夫は、直接関係ないのに! ある時、私が悪くないのにその人に謝らないと事が進まない状況にたった。🤣 胃がキリキリ、謝りたく無いし、謝る必要もない。まして、嫌いな相手で、尚更だった。しかも、その人は完成に被害者意識満々❗️ 私の心は「筋がちがう!道理がちがう!」などの思いで溢れていた。でも、謝った方がいいんだよなぁ。と葛藤の渦🌀。

そんな時、いつも冷静な歳上の女性が、「負けて勝つ生き方も あるのよ。謝っても大丈夫、皆、平さんのことわかっているから」と、私に言ってくれた。「カッコいいー!そうか、そういう生き方があるんだぁ!」とモヤモヤしていた霧が一気に晴れるような心境になったのを今でも覚えている。謝ることができた。悔しさよりも、そう出来たことに、清々しさを感じた。ありがたかった❗️このことは、その後の私の生き方を強く後押ししてくれた。

それからの私は、違う場面でも嫌われ役、鬼役もあまり厭わなく引き受けられる様になった。「四十にして惑わず」と言う生き方を教えてくれた。といいながらも 惑っているけどね😄 あれから、10年以上を経て今は①から⑦のタイプの女性と出会っても、余り嫌気は感じない。個性だと思う。そして、この①〜⑦は、私に無いものばかり。男性に甘えられるその人が少し羨ましいと思っていたのかも。そういう人には、 「貴女から伝えて、私より、いいかも」と関われるようになっている。少し、成長したかなぁ。そして、今は他者にたいして「勝ち負け」の意識は殆ど無い😊 結局、勝ち負けの相手は己自身だと色々な人々や書物、体験から教えて頂いた。 だから、闘いを挑むのは、自分自身に対してなのだ。 今はKさんとそのご婦人に感謝している。「負けて勝つ」は私の視界を切り開いてくれた力強いVoice💪

あなたも視界を開かせてくれるようなVoiceと出会えますように😊 今日は雪が降りました。皆様、色々と お気をつけてくださいね☃️

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice. 61〉 『頑固な汚れみたいなやつ』

これは、若い頃にある人から言われ こと。当時、同世代の男女仲間でよく 連んでいた。仕事の話し、趣味、等の話をよくした。仲間の男女は、私を除いて、カップルだった!何故かそこに 私も自然に加わっていた。お互いの愚痴を其々聞いたこともあったなぁ。懐かしの遅めの青春時代😅 男子連中は、異口同音にして、私に 『お前とは、気楽にいれて、話せていいよ。なんせ、女に気遣うのも疲れるぜ』 みたいな?ことを良く言っていた。 『まてまて!私も、いちおーう女だけどさぁー🤣』と返すと即答で『無理すんなよー。いーって、無理に女と思わなくて。俺ら、そう見てねぇーから😁』と。なんとまぁ、失礼な❗️仲間の女子も賛同している。そう、当時から『中性的だよな。気を使わなくていいよな』と 言われていた。心の中では、『もう少し、気遣ってよー』と思うこともあったなぁ。そして、自分がどんな存在なのか 気になり、聞いた。すると、1人の男子が『お前か?そうだなぁ。頑固な汚れみたいな奴だな』と。耳👂を疑った。私が『頑固な汚れって❓どーゆーこと』 すると、他の仲間も『わかる!』となんとまぁ、意気投合していた。 『お前と関わったやつは、お前の事、 絶対忘れない!記憶にこびりついて、 そう、頑固な汚れみたいに』と言われた。当時は、ややショックで少し凹んだのを覚えている。それからTVのCMで 「頑固な汚れにザブが効く♪」と言うのを見るたびに、心の中で「私にはザブは効かないの」と呟いていたなぁ。 あれから、約25年以上が経つ。仲間も 其々家庭をもち、沙汰無し。仲間は私に 言ったことなど、忘却の彼方だろう😅 私は、折にふれてこのことを思いだしていた。 最近、この『頑固な汚れみたいな、』を 思い出すと、嫌な気持ちがしない。不思議だなぁ。何となく私の存在を肯定して くれているように感じる。我が家の中の頑固な汚れを見るたびに、「私みたい、こびりついてる」と思い、プフッと吹き出す😆「頑固な汚れ、なかなか良いじゃん❗️」と思えるのだ😙親しみを感じる。変かなぁ。でも、確かに、私の存在は否定されていなかった!と思える。

皆様、私は灰汁が強く、頑固な汚れみたいな人ですよー。きっと😃。子どもの頃からスカートを履いていても 「ぼくー」と呼ばれていたのを覚えている。中性的、OK🙆‍♀️、中性洗剤は、頑固な汚れに効くかなぁ⁉️✌️

あなたも、あなたの存在を肯定してくれる仲間に出会えますように😌 でも、頑固な汚れでなくてもいいよね!

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.62〉 『私達には、人を傷つける権利は無いのですよ』

数年前、傾聴のスーパーバイザーから 言われたこと。「ハッ」とし、私の心に 刻まれた。私が傾聴した時に、相手から 急に怒鳴られ、ずっと罵倒され続けた。 その時間は、約50分位だったと思う。 相手のAさんは、兎に角、マシンガンのように怒鳴り続けていた。相槌を返す隙も無かった。「何黙ってんのよ」から 「その返事は何💢」と、そして、わたしを貶し続けた。どうやって話を終えたかは記憶にない。何故、こんなに罵倒されなければならないのか!私が何をしたのか?しかも、初めて会った私に。結局怒りの矛先は、私以外に無かったことを 後から気づいた。私はAさんに100倍返しをしたいくらいの心境で、その感情を 抑えるのが、精一杯だったなぁ😌その思いをスーパーバイザーに打ち明けたら 『私達は、人を傷つける権利は無いのですよ』と指導を頂いた。確かに。自分が傷つけられたからと言って、その相手を傷つけて良いことは無い。でも、その時の私は、内心「道理は、分かった。じゃあ、私の傷は?どう癒すの?」と言うやり切れなさと腹立たしさが残った。それから、色々と考えて、自分が傷ついたり、不快に感じた時は、冷静に「あなたの言い方は、きついです。そんなに怒鳴られたらお話しは聴けません」と伝えるようにしている。人間対人間なのだから、そう伝えでも良いと思う。これは、ナースと患者、教員と学生間でも同じだと考えるようになった。生きている限り、自分が相手を傷つけないと言う保証はない。故意に傷つけるのは、良くないが知らないうち、気づかないうちに相手を傷つけることはある。それは、人との関わりで認識しておく大切な前提だと思うよ。一方が、我慢し続けることではないよなぁ。

では、自分が傷ついたらどうする? まずは、傷ついたことを認めて、 ヘルプや癒しが必要で求めて良いと認識すること。状況によっては、自分が傷ついたことを認めるのは、とても辛く、エネルギーのいること。だから、人はその傷を感じないようになったり、回避する 自己防衛が働く場合が多い。衝撃が強い時は健忘となることもある。それを放置すると悪夢やフラッシュバックという形で現れることもある。そうなると、辛さや大変さが増す。だから、早めに癒すことが大切かなぁ。心の傷を癒すには、まずその傷ついた自分を認めることが出発点だとおもう。認める段階で大変な場合は、その時点からヘルプを求めていい。ヘルプや癒しを求める時に傷の詳細を無理に話す必要はないと思うし、求められる側も無理に聞き出す必要は無いよね。「今、傷ついて悲しい、辛いの」と。「伝えてくれて、良かった。そうなんだね」と、沈黙があってもいい、優しく温かいブランケットのように 包んで欲しいなぁ。 自分が人を傷つけたことに気づいたら 素直に謝り、心の中でも手を合わせていきたい。

もし、あなたが傷ついたら、自分を卑下せずにあなたに相応しいヘルプと癒しを 求めていいんだよ。 もし、あなたが誰かを傷つけたとしたら 自分を責め過ぎずに、心から謝り、日々手を合わせていけばいいんだよ。赦される否かに拘らないでね。「赦して欲しい」に固執すると、自分のその思いが優先し、相手の思いに心が向かなくなるから、本末転倒になることがあるよ。赦しされるかは、相手の問題で未知のことだから。人は、互いに「癒し、癒される存在」であると同時に「傷つけ、傷つけられる存在」でもあるよね。コインの裏表のようだよね☺️。

Aさん、あなたから受けた傷は、まだ癒えていません。でも考える材料を沢山頂きましたね。あなたの怒り、憎しみ、不満が少しでも癒えて、心に安寧が訪れますように🙏

 

あなたに「癒し、癒される存在」となる 関わりの輪が増えますように❣️

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.63〉 『私的には、頑張った』『うちら、頑張ったよね』

これは、専門学校の専任教員をしていた時に、学生さんがよく言っていたこと。その頃、世間では「only one」捉え方が普及していた。SMAPの「世界でたったひとつの花」が大人気。いいことだなぁと思っていた。でも、当時の私は「自分が頑張ったか否は、他者が評価し、感じること!」と確信していた。『私的に頑張った』と手前味噌で課題を提出し、その内容は、課題達成目標にほど遠く、評価のしようが無いものだと感じていた。 インターネットで調べて、そのままコピー、貼り付けて提出。なので、提出した学生さんは、殆ど内容を理解していない。そんな事が多々あった。私は「あなたが頑張ったかどうかは、あなたが決めることではないのね。内容を理解してない、コピペだけでは、学習したうちにはいらない、再提出です!」と返していた。そうすると、大抵の学生さんは、ほっぺを膨らまし、ブスッとして「えっー😠」と言う反応。当時の私は、「そのまま、患者さんの前に立つのはもってのほかだ」と思っていた😌何とまぁ、お堅い、高慢な姿だったこと!それから、 まぁ10年後位からは、『私的に頑張った』『うちら、頑張っている』と言われると、嬉しくなり、『あらっ、嬉しい。 どう頑張ったのか教えて❣️もっとアピールしてして❣️』となって、今に至る。不思議、今の対応の方が、学生さんが主体的に学習してくる。『この部分についてもう少し、調べられる?』と伝えると調べてくる。そして、ぼちぼち、点と点の知識が繋がり始め、中には、水を得た魚🐟のようになる学生さんもいる。更に、学習が楽しそうでつい、『ねっ、勉強は楽しいでしょう〜♪」と言ってしまう。すると、学生さんは、「平せんせーいが何気に1番楽しそう😄と言われる。「ハイッ!そうです!私が楽しませて貰ってます❣️」と心の中でつぶやいて幸せ気分😊。

確かに、社会生活においては、他者からの評価が優先になることが多い。仕事や 生活に責任を持つ上では、大切なことだと思う。 同時に、やはり先ずは「頑張った」と伝えられたら、一旦それをちゃんと受け止めて、頑張った内容を具体的に聞くことだなぁと学んだよ✌️そうすると、ただ ネットのコピペだけではない、その学生さんなりに、情報の取捨選択に迷いながら、考えながらやっていることや、他のことまでわかる。

その人なりの頑張りを認め、受け止める ことは、その人の水面下の努力や潜在能力、やる気の扉を開くのだなぁ😊 学生さん、大切なことに気づかせてくださり、ありがとう😊 今日、修士論文を提出できた。沢山の人々、書物、教えに導いて頂き、支えて頂きながら書き上げられた。4年間もかかった。感謝の思いで一杯!ありがとうございます! 55歳の私、色々ありながら、歩めたことが嬉しく感謝!そう、皆さま、それこそ「私的に頑張りました‼️」 これから、審査、口頭試問などがあるので、私的に頑張ります👍😂

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.64〉 『保険証持って行ってこい!』

義母がアルツハイマーの確定診断を得る為に、病院で MRI検査結果説明を受け なければならなかった。義母は、日毎に頑固さが増していた。徘徊はするが、 必要な外出は頑固として「行かないよ!」と言い、動かない。病院に行く朝も絶対に動かない、行かないと確信していた。そこで、当時の朝、「息子が具合悪いから、病院に一緒に行って」という 方法で誘導する事にした。息子が「母さん、腹が痛いから病院に行ってよ」と言った。義母の対応は、険しい表情で「保険証を持って自分で行ってこい❗️」と🤣息子が何度お願いしても、回答は変わらず。別室に行き、夫(息子)に「芝居が足りない。腹痛で転げ回るようにして」と伝えた。息子は、再度「母さん・・いててて」と決して、上手く無い芝居を頑張った。義母は、「何言ってんだ💢自分で行ってこい❗️」と。その対応を観て、私が怒りモードに。 血管がブチッと切れたような感じになり 爆発💥した。「お母様さん!何言ってんですか!息子が具合悪いのに! 平家の一大事ですよ💢」みたいになった。すると義母は、急にサッと立ち上がり、「保険証、持ったか!行くよ!」と 上着を着はじめた❗️既に全て車に入れてあった✌️義母の気が変わらぬうちに、車🚗へ誘導、その時の義母は何とも言えない複雑な悲しげな表情だった。今でもその表情は鮮明に覚えている。そして、車に乗り、いざ病院へ🏥。

運転したのは、腹痛で転げ回ったあの 息子だった😁でも、義母は気づかないようだった。診察室に入り、医師に 「調子はいかがですか?」義母「健康です」(にこやかに) 医師「今朝は、何をたべましたか?」 義母「ご飯🍚です」 医師「おかずは何を食べましたか」 義母「ご飯です(^^)」。

MRIの画像を見た。愕然とした脳実質のシワが殆ど無かった。義母はまだ68歳。「この、脳で生きてきたんた!」と 心の中で叫んでいた。義母の全ての言動の意味が腑に落ちた。きっと、発症は50代からだろう。様々な不安や生きづらさがあったのだろうなあと想像を巡らした。ボットをガス台に乗せて、火をつけたり、家にいても「帰る」とウロついたり、被害妄想が出て、トイレや風呂から飛び出てきたり。急に、義母が愛おしくなった。この状態でも、医師の前では体裁を保っている。健気だと。そして、私は情動に訴えることも、必要だと痛感した。義母が立ち上がったのは、義母の 情動が動いたためかなぁと。夫は、この時のことを殆ど覚えていないそうだ。 無理も無いと思う。芝居とはいえ、体調が悪いときに、母親から冷たい対応されたのだ。そして、自分の母親が壊れて行く姿を目の当たりにしなければならない厳しい現実だったと思う。だから、無理に思いださなくてもいいと思うので、 夫婦の会話には、この件は登場しない。 ただ、私にとっては、この場面は人生の中で最大で最高のコント☺️そして、保険証を見るたびに👀、病院に行く旅に「保険証、持ったか!」と義母の声が脳裏を過ぎる😉義母が見守ってくれているようだ。

お義母さん、車を運転していたのは、腹痛で転げ回った貴女の息子でした😆 嘘の芝居をしてごめんなさい🙏 その後の私のナースとして、人として 生きる上での道標と示唆を沢山残してくれた、最大で最高のコントであり、お義母さんの置き土産を大切にしていきます🎁いつまでも、見守っていてくださいね。

あなたの人生にも、最高のコント場面で 豊かな彩りが添えられますように🌈

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

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ssss

 
2月 7, 2026

Voice No.53 ~56を追加しました

<Voice.53~56>

〈Voice.53〉 『俺が死んだどうする!おばさん!』

この声に出会ったのは、もうだいぶ前。 だけど、声の調子や話し方は、鮮明に 覚えている。そして、よく思い出す。 その人は、イライラした感じで「何で死んじゃいけないのか」と言うようなことをまるで問い詰めるかの勢いで話してきた。何かに怒りや苛立ちを感じているのがよく伝わってきた。私は、「死んじゃいけないとは思っていない」と伝えた覚えがある。彼は、何を求めて話してくるのかわからなかった。きっと、私の対応が彼の苛立ちを助長したのだろう、いきなり、「っていうかさー、俺が死んだら、どうするおばさん‼️💢」と怒鳴った。私は内心(ぶちっ‼️まるで血管が切れた?)かのように、ムカついてしまった。心の中で「見ず知らずの、貴方に おばさん呼ばわりされる筋合いないわよ‼️💢」となってしまった🤣私は、「おばさん」にひっかかり、それがトリガーとなり、私を噴火させてしまった。 「別に貴方が死んでも、私は何ともしませんよ!貴方のこと知らないし、何ともしません❗️」と言ってしまった。彼も「そうかよ!悪かったな!💢」と電話を切ってしまった。

受話器📞を置いて「何で、会ってもいないのに、おばさんなわけ⁉️」と頭も心も、グルグル🌀と熱量アップ⤴️。クールダウンしたが、時、すでに遅し😅「しまった!ごめんなさい🙏」と心の中で侘び、自己嫌悪の嵐。 自分から人に自分のこと、おばさんと 言っているくせに、何であんなに腹が立ったのだろう?我ながら情け無い。 しかも、何故「おばさん」にそんなに 火🔥がついてしまったのか, 思い出す度に、恥ずかしいやら情け無いやら。

皆さま、私はこのように時折、噴火するのです😆 ただ、おばさん呼ばわりが無くても 問われた問いに対する応えは同じ。 初めてお会いした人に対して「貴方が死んだら悲しい」なんて思えないし、軽はずみにそんなことは、言えない。嘘はつきたくない。 今だったら「私がどうするか、知りたいのかなぁ」と返すだろう。そうしたら、もっと彼の思いを聴かせてもらえたかなぁ。 あの彼は、どうしているだろうか。 きっと当時の彼のエネルギーからすると 「何で?」と思いながら、生きているだろう。

ごめんなさい。おばさんは、日々反省しているよ。反省の材料をありがとう。もし、再会できたら、今度はじっくりあなたの思いを聴かせてね。 私のこの大失敗は、私にプロセスレコードのように、振り返りをする材料になっている。 皆様だったらこのような時、どうしますか?

あなたがあなたの疑問や怒りに寄り添ってくれる人と出会えますように😌

今日も相変わらずです‼️ 感謝です🤗 マリア様のように慈しみ深く・・😊

 

〈Voice.54〉

『寒いのは、平気さぁ。雨さえ降らなければ。平さん、風邪引かないでね』

路上生活の人達が、私に言ってくれる 言葉。クリスマスの2日間、変わらず活動ができた。ミサに与れなかったが 私にとっては、今までで1番嬉しいクリスマスの過ごし方だった。上手く言えないけど、一見すると人間臭い中でクリスマスの雰囲気とは程遠い空間だが、心の中では神様をより身近に感じられる心持ちだった。路上の人々は、段ボール、ブルーシート等で暖をとり、寒い夜も過ごす。その人々が私にこのように言ってくださる。過酷な環境下での生活経験が滲みでているが、表現はサラリとしている。尚更、心に響き、暖かい気持ちになる。最高のクリスマスプレゼント🎁❗️ まだまだ、未熟なキリスト者の私に相応しい三間(時間、空間、人間)を神様は用意してくださったと感じている。 「来年もよろしくお願いします」と言うと、異口同音に「来年は、もう居ないかもよー」とにこやかに話された。

路上の皆さんいつも、私の相手をしてくださり 、支えてくださり、色々教えてくださり、ありがとうございました! 仲間の皆さん、様々な協働作業をありがとうございました!このような機会に恵まれたことに感謝してます。

あなたも心温まることに出会え、ホッコリした歳の瀬をすごせますように🍵

投稿をお読みくださっている皆様、遅ればせながらMerry Xmas❣️

今日も相変わらずでした‼️感謝です🤗

 

〈Voice.55〉『〜に感謝して』

この言葉は、看護専門学校で教員を している時によく聞いた。学生さんに対して「学べることに感謝して」などのように。当時の私は、いつも違和感を感じていた。違和感だけでなく、反抗?抵抗も感じていた。学生さんに対して感謝を強要しているように思えてならなかった。なぜ、そのように思えたのか? 10年以上位たち、漸くきづいた。随分とかかったものだ😆

そもそも、感謝の気持ちは他者から強制、強要されるもの では無く、湧き出るものだと。当時、学生さん全体?いや世間全体の雰囲気として「してもらって当たり前」というように感じていたなぁ。(あくまでも、個人的な感覚)そして「感謝する側」と「感謝される側」などの区別を勝手にしていたように思う。学生さん、世間に対して「感謝の気持ちが足りない」と感じながら「強要するもんじゃない」と考えていた。なんと勝手で傲慢だったこと!その時の自分はどうだった?学生さんに感謝していたかなぁ?その思いはゼロでは無いが、余り感謝していなかったし、伝えていなかった。自分がしていたのは、他者批判だった。恥ずかしいなぁ。 感謝とは、する側、される側とかではなく、強制するものでも無くお互いにその気持ちが湧くようなことだと気づいた。

それに気づいたら、今は感謝の気持ちが 1番私を包んでくれる❣️ありがたい、幸せだなぁ。相手に対して、「感謝の気持ちが足りない」と感じたら、自分から感じた感謝の気持ちを伝え、発信していけばいい。勿論、感謝の気持ちが湧いたらでいい。「愛情」と同じように、不足している所には、その種を自ら蒔いていければいいなぁ(^^)。スルーされることもあるかもしれないが、日々の暮らしの中で感謝を伝え続けていきたい。

当時、私に関わってくださった学生さん、先生方、今の私は皆様に感謝の気持ちしかありません‼️ 今年もあと僅か、色々あったなぁ。 でも、私は感謝の気持ちでいっぱい❣️ それ以外は浮かばない、とても幸せ。

投稿をお読みくださる皆様にも、感謝の気持ちで一杯です!ありがとうございます♥️

あなたも互いに感謝の気持ちを伝えあい、幸せな気持ちで過ごせますように🍀

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.56〉『これでいいのだ』

この声を聞くと、何故か気持ちが 落ち着く。子どもの時にTVでみた 「天才バカボン」のお父さんが最後に 言う言葉😊何か困りごとや怪しげなこと、色々とあっても最後にバカボンパパが「これでいいのだ」と一言。以前は 「終わりよければ全て良し」と言う意味に感じていたが、ここ最近は、少し違うかなぁ。何となく「お前はこれでいいのだよ」と受け入れ、認められているように感じる。「バカボン」は「薄伽梵(バキャボン)」でお釈迦様の敬称だそうだ。そして「これでいいのだ」は「あるがままを受け入れる悟りの境地」らしい。

やっぱり、「これでいいのだ」は ふわっと、そしてしっかりと私を包んでくれるVoiceだなぁ🍀 今年も、色々なドジをしたり、悲しいこともあった。だけど大部分は幸せで 良い年だった!上手くいかないことも あったが「これでいいのだ!」と認めてくれている様な気がするよ。誰が❓誰かなぁ👀神様と自分かな😆

皆さんも一年を振り返り、ご自分を 「これでいいのだ」と優しく暖かく認めてあげ、労って欲しいです❣️

あなたも互いに「これでいいのだ」と認めあいながら、良い年を迎えられます様に‼️ 皆様、今年もありがとうございました!

今日も相変わらずでした‼️感謝です🤗

追伸:レレレのおじさんの記事→「レレレのおじさん」についても、実際にお釈迦様の弟子である「チューラパンタカ(周利槃徳=しゅりはんどく)」がモデルになっていて、妙法蓮華経によれば、自分の愚かさに苦しんでいた時にお釈迦様より命じられて毎日掃除をして唱えるという修行の後に「真に払い除くべきものは、実は自分の心の中の塵であり埃なのだ」

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7月 8, 2025

Voice.47~51を追加しました

<Voice 47 ~51>

〈Voice.47〉

「やばいよ、やばいよ〜😁」 看護専門学校の専任教員をしていた時のこと。学園祭の準備で、学生さん達が消化器官の模型を作成していた。とても良くできていた。胃の内壁、粘膜の色合い、全体の形などあまりにも素晴らしいので、感激してその思いを伝えた。具体的な言葉は覚えていない🤣すると、学生さん同士がニコニコと互いに顔(^^)を見合わせて、「先生が凄く褒めてくれたやばいよ、やばいよ〜」「めっちゃ、うれしくてやばいんだけど」と口々に言った。私は、不安になった。心の中で『やばいって、褒めたつもりなのに、どうしよう』みたいな思いが過ぎっていた。だけど、彼らは嬉しそう。『嬉しそうに やばいってなんダァ‼️😆』と心の中で叫んでたいたのを覚えている。勇気を出して学生さんに聞いた「やばいって、中か悪かったかなぁ?」と。すると学生さんは、「先生、違うの。そのやばいじゃなくて、嬉しすぎてどうして良いかわからないくらい、それがやばいの」と言うような説明をしてくれた。

とてもホッとして私まで嬉しくなった感覚を覚えている😌それから、その学生さん達と学内ですれ違う時などは、ニコニコしながら 「ヤバイよヤバイよ〜」が挨拶がわりになった。不思議だなぁ、その言葉で挨拶していた時は、何故か胸が高鳴るような感じで嬉しかった‼️今でも思い出すと胸が高鳴る感じがする😚「ヤバイよ〜❗️」かな。学生さんの名前は、忘れちゃった。あれから約15年くらい経つ。 今、近隣の短期大学生の学生さんが 我が家の愛犬ジュンをみると、「きゃー可愛い💕ヤバイよ〜ヤバイよ〜」と撫でてくれる。私も嬉しさ倍増で「ヤバイよ〜❣️」

学生さん、胸が高まるほっこりした思い出をありがとう!当時のままの貴女達でナースをしていて欲しい!と願っています😃 あなたも誰かの胸が高まる思い出の人になっているかもです!それは、素敵すぎてヤバイかな〜😘

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.48〉

「笑わないで聴いて・・」 「私、、可笑しいでしょう」

傾聴の中で、時折出会うVoice. そう、聴かせて頂いていると、笑えるような内容では無い。そして可笑しくもない。語られる内容は、その人が苦しんだり、そのことで貶されたり、恥ずかしい思い、悔しい、悲しい思いをされ、抱えている。割り切れない自分、クリアできない自分を責め、情けなく思いそして自己否定している。「笑わないで~」には 話すことにより、笑われて傷つくことから自分を守っているのだと感じる。そうしなくてはならないほど、傷つき、悩みながら生きてきた。そのことだけでもその人は尊いと私は思う。 「私、、可笑しいでしょう」も、その出来事や悩みや苦しみと向き合って、もがいてどうにもならず、そんな自分に対して何とも言えないくらい、歯痒さなどを感じながら生きていて、やはり笑われることでこれ以上傷つくのを回避するためだとに自ら「可笑しいでしょう」と先手を打っているように感じる。そのような中で向き合いながら生きてきたことが尊いと感じる。 「話したいだけど傷つきたくない、ちゃんと聴いてほしい」と言う心のVoiceが、声から吐息から、ボディから伝わってくる。勇気を出して、私に話してくださっている。お話ししてくださり、ありがとう。笑わないので、安心して話してくれたら嬉しいなぁ😌

この二つのVoiceは、その人達の強さや直向きさ、尊さに気づかせてくれる。

もし、あなたがこのVoiceと出会った時は暖かく、優しいブランケットのように その人の声を聴いてほしい。そして、あなたが逆の立場になった時は、あなたの思いを優しく暖かく包み込むように聴いてくれる人と出会えますように🍀

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

〈Voice.49〉

『ともかく 具体的に動いてごらん  具体的に動けば 具体的な答が  でるから』  この詩と出会い、だいぶ経つなぁ。 仕事や学習で、課題が山積みで混乱しそうな時、何かに迷い手がつけられない時にこの言葉を思い出し、その時に思いついた事から始める。すると、あら本当にその通りになる❗️不思議だなぁ。具体的な答や考え、方法などが出てくる。 この事を繰り返してきたら、習慣になったよ😄そして、その行動に対する『 先ずは、コレをやってみよう」と言う 思いが徐々に『コレをやってみればいいんだ!』と言う確信に変わった✌️ ありがたいなぁ。この詩のポストカードは、状況に応じて居場所が変わる。スケジュール手帳だったり、学習課題ノート、今は「分析.論考ノート」に挟んである。お守りみたいだ。😌迷い、悩み、混乱しそうな時に静かに確実にポンっと背中を押してくれるVoice😊この詩の言葉は、このように生きてきた人からしか生まれてこないと思う。先人の教えはありがたいなぁとつくづく思う。

皆さんの中にも、このように生きてきた方もいると思う。 これから、受験や検定試験、資格試験 シーズン。 あなたの周りに、焦っている人、混乱している、迷子になっている人がいたら、この詩を分かち合ってみるのも良いかもよ😉

相田みつをさん、あなたの言葉のおかげで豊かな人生を送れています。私もあなたのように、自分と大切な人々が心豊かに生きれるような言葉や声を紡ぎ出せるようになりたいです🍀

あなたとあなたの大切な人の背中を優しく押してくれる言葉や声にであえますように❣️ 今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.50〉

『あめゆじゅ とてちてけんじゃ  おらおらでひとりえぐも(Ora Orade Shitori egumo)』 これは宮澤賢治の詩歌「永訣の朝」の 言葉。この詩歌に出会ったのは確か 中学生の国語の授業だった。賢治の大切な妹、とし子が今日旅だってしまう悲しみ、とし子への思い、とし子の優しさなどを詩にこめている。意味は「雨雪をとってきてください。私は私で1人で行きます」 私は、この部分だけがとても印象的で 今日みたいな冷たい雨の日や雪賀舞う日は必ずこのフレーズが蘇る。天国と繋がっているような不思議な感覚になり、ふと寂しさや命の儚さに思いを馳せる。妹さんは、死を覚悟していた。 そして、冬の雨、雪の日は心の中で 「『あめゆじゅとてちてけんじゃ』だなぁ」と呟いている。理由は、わからない。そして、この詩歌が好きであること、このような思いでいることを誰にも伝えたことが無い。不思議なことに、20年位前、母が旅行で宮澤賢治記念館に行き「永訣の朝」の詩集を買ってきてくれた。何だかとても嬉しかった。他にもたくさんの詩歌があるが、今だに、私はこの「永訣の朝」に引き込まれる😊

出会った当初は、妹の様子を想像していたのを微かに覚えている。 今、読み返すと最愛の妹を失う悲しみと妹に対する愛情、そして宇宙、自然への畏敬の念と一体感を静かに感じることができる。 宮澤賢治といえば「雨にもマケズ」 が有名だなぁ。でも私は「あめゆじゅとてちてけんじゃ」。 冬の寒空の日に、天国に召された大切な人々を思いだしながら「あめゆじゅとてちてけんじゃ、、」そして私も静かに「おらおらで ひとりえぐも」と悟れるように生きたいなぁと願う。 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」は 静かに、語りかけてくれ、生命の儚さと大切さ、大切な人々を思い出させてくれるささやくようなVoice. あなたも心静かに何かに思いを馳せる詩歌と出会えますように。

皆さまシリーズ?Voiceは記念すべき50回目となりました✌️ 1人静かに盛り上がり😄喜んでいます。 皆さまがお読みくださっているおかげで、続けられます。ありがとうございます😊これからもよろしくお願いします❣️

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice 51〉

『私の睡眠かえせー❗️』

これは、当時の私の心中の叫び、いや 雄叫び⁉️ 義母の認知症が進行し、自分の家に居ても昼夜問わず「帰る帰る」とウロウロ。 あちらこちらの扉をあける。仏壇を見せても「これは、誰かが持ってきたんだ」と。私はフルタイムで働いていた。夫は仕事を休み、つきっきりだった。当時は介護休暇もなく、アリセプトも保険が適用されていなかった。誰かが働かないと生活できない。看護学校の専任教員は持ち帰りの仕事も多く、昼休みもろくに取れずブラック企業そのもの。寝不足と疲労が蓄積されていた。夜中に扉を開ける音にうんざりし「また!寝かせてよ。私の睡眠返せー!💢」と心の中で叫びながら台所に行くと、義母が棚や引き出しやら開けまくっていた。心の中で雄叫びと怒りがマックスになりかけた時、義母の手には、私の大好きな山崎の菓子パンが!栗とさつまクリームの秋限定の菓子パン、当時のマイブーム😆それを頂くのが唯一の癒しと楽しみだった。その菓子パンが、よりによって義母の手に!義母は、嬉しそうに、そして少しバツが悪そうに私を見た(嫁と認識されていない私)。その表情の可愛らしいこと!今でもはっきり覚えている。 私「それを食べたいの?」 義母「何にも食べていないから、えへへ(^^)」と可愛い💕 心中の雄叫びボルテージが下がるのを 感じた。その感覚、今でも覚えている。 「嘘です。お義母さん、貴女は仏壇のバナナ🍌3本を食べたあげくしらを切り、夕飯もしっかり食べましたよ」と言う事実があったが、忘れている!天晴れ! 勿論、このことは言わなかったよ。

真夜中の台所で、夫には内緒🤫で お茶を🍵入れ、菓子パンを仲良く半分こして頂きました😃穏やかなひと時でした。その後「帰る」と言う徘徊に お供したか、添い寝をしたかは忘れましたが、あの時の義母の可愛らしさは今でも鮮明に覚えている。 お義母さん、あの菓子パンを長らく食べていません。そのうち、一緒に食べましょう😊

何かと気ぜわしい年の瀬を迎えます。 あなたもホッコリする時間を過ごせますように🍵 今日も相変わらずでした‼️ 感謝です😊

 

Voice.52〉 『何で、自殺しちゃいけないの?』

傾聴ボランティアをしていると、時折この声に出会う。このように聞かれたら 皆さんはどう対応するかなぁ。最初の頃はとても戸惑い、「何かを応えなくては」と思いがあった。今は、違う。 無理に応える必要がないことに気づいた。そのお陰で、気が楽になり「あなたはどう思うの?」「私の考えが気になるの」とか「なぜ、そのような事を聞いてくるの?」と伝えられるようになった。 伝えたあとの相手のお話は、実に色々。 だけど、共通しているのは「自殺は良く無い事」と言う世間の見方等に疑問を 抱いている。だから、家族にも、友人とも自殺について話すことが難しいのだ。 そして、「よく無い事」と言う見方に 追い詰められて「自殺したいなんて、よく無いことだよね、自分はどうしようも無い」と自分を責める人もいる。 私は「良い、悪いじゃなくてその思いを聴かせて」と伝える。 「良い」「悪い」の二者択一ではなくて その思いや、自殺について話せる場や 人が必要だなぁと感じる。 だから「自殺予防月間」あるいは「自殺防止月間」と言うキャッチフレーズを目にすると違和感を覚える。「予防」「防止」に囚われすぎると、聴く側は、「予防しなきゃ」「防止しなきゃ」と言う思いに支配され、それがバイアスやバリアとなり相手の心の声が聴けなくなる場合がある。そして、家族や関わった人々は 「防止、予防できなかった」と自分を責める場合もある。 だから、私は「まずは、聴かせて」と 言う気持ちを大切にしている。相手に応えを示すことよりも、聴きながら一緒に 悩んだり、揺らいだり、考えたり、時には怒ったりしながらその時を共に過ごす。僅かな時間でも、共にいる😉 でも、世の中には、疑問や思いを発せずに、ボランティアや支援窓口に繋がらない人も沢山いると思う。

もし、皆さんの周囲でそのような声と出会ったら、肩の力を抜いて聴いて欲しい。カウンセラーじゃ無いから、専門家じゃ無いからと、重たい話しだからと 扉をしめるのではなく、まずは耳を傾けて欲しいなぁ。その小さな積み重ねを大切にしてほしいなぁ😌

電車の人身事故、芸能人の自殺も増えてきている。

あなたもあなたの思いを大切にしてくれる人と出会えますように。そして、あなたも誰かの大切な存在でありますように🍀 あなたの声、思いを聴かせてね。

今日も相変わらずです‼️ 感謝です🤗

ssss

 
1月 1, 2025

Voice No.44~46を追加しました

〈Voice.44〉 「生きていてもしょうがない・・」

この声によく出会うようになった。 出会う度に、「どうしてそう思うのかな?」とか、「どうしたらいいのかな?」とか「そう、言いながら日々いきているじゃん」などの声が心中でつぶやいている。思いに耳を傾けると、そう言う人々の心中は、「誰かに必要とされたい」「何かの役に立ちたい」「生きたい」「俺なんか、、」との思いが渦巻いているように感じる。でも、どうにもならない。そのような人々に概ね共通しているのは、自分の病気や健康に目を背けていること。そのような人々を前に、無力という大きな壁が立ちはだかるのだ。人は誰かの為、自分の為、何かの為ということがあれば、つまり、生きるよすががあれば病気と向き合えるのだなぁとつくづく思う。私が出来ることは、次に会うことを約束すること。そうすると、次の時に待っていてくれる。その小さな点のような積み重ねがやがて時間の線となっていくのを感じる。「また、お話しを聴かせてくださいね」の一言。次に会えた時は、本当に嬉しい。何回か足を運び、話を伺い、漸く血圧を測らせてくれる。「待っていてくださりありがとう😊」の気持ちで一杯になる。でも、会えなくなった人々もいる。どうしているかは、わからないがいつも思いを馳せている。「生きていてもしょうがない」と 思う背景には、様々なライフヒストリーとライフストーリーが山積みになっている。お互いの人生の中で、あなたと私は 今、巡り会ったのだよね。それは、きっと何か意味があるのかもね。 「生きてもしょうがない」は、その人の 心中と人生に思いを馳せさせてくれて、 今、ここで共に生きていることを感じることができる意味深いVoice. 無力の壁を感じられることは、自分を 見つめさせてくれるチャンス。

そのようなチャンスをくださり、ありがとう。あなたは、私にとって必要な人です。また待っていてくださいね‼️

あなたも、あなたを待っていてくれる人と出会えますように。既にあなたはだれかの待ち人になっているかもです😊

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.45〉 「あんた誰⁉️」「はじめまして嫁の恵子です😊」

今は亡き義母、初めてお会いした時に 認知症になっているとわかった。当時、 なかなか、会わせて貰えなかった理由が その時に解った。義母は、お茶をいれてくれ「飲んで、つまんで。」と勧めてくれた。少したつと、また台所に行き、お茶をいれてきた。テーブルの上は湯呑み茶碗で一杯、そして「私は◯◯から嫁いできたの」と同じ話しを繰り返した。 それから、間も無く、徘徊で警察にお世話になっり、何故か食パンを隣家の門戸においたり。きづいたら、私は手をつないで徘徊のお供や色々やっていた😆 その度に「あんた誰⁉️」と。私は「はじめまして嫁の恵子です⁉️」と、すると「うちには、嫁はいない❗️」とそこだけはしっかりしていた🤣一年くらい、そのようなやりとりをしなかぁ。嫁と認識されていないので、嫁いびりは無かった👏ただ、急性期だったので、表情はきつく混乱しまくり。ありゃー!って感じだった😳ありがたいことに、私のことは、拒否せず受け入れてくれていた。途中から施設に入ったが、毎週の面会も穏やか迎えてくれた。しかし、息子もわからなくなり、当然私のことも嫁ではなく気のいい人と捉えてくれていたようだった。でも、施設の職員の方々や同じ認知症の方々にとても可愛がられていたから最後まで穏やかに笑顔で過ごせたようで感謝。 義母との思い出は、沢山ある😊これから、時折Voicepに登場する予定。義母は、認知症の人との関わり方を身をもって教えてくれ、私にかけがえの無い実践的、知的財産をくれた恩師のような人。

お義母さん、豊かな思い出、宝をありがとう。いつのまにか、貴女の大事な息子さんとは夫婦になっていましたよ😆 あなたも誰かの豊かな思い出、宝になっているかも。また、そのような出会いが ありますように🍀

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.46〉 「嘘でしょう、よその人の話しよね」

義母の認知症が発覚し、少し経った時、 ほんの束の間の間に、逃走?徘徊。行方不明になりました。警察から連絡があり 怪我をして病院で手当を受けているとのこと。たまたま、連絡先が書いてある何かを持っていたらしい。病院に駆けつけると、顔に結構な傷を負っていていた。 痛々しい、でも、本人はケロっとして いた。唇と目の上が腫れあがっていた。 家に帰り、食事の時に何ごとも無かったかのように味噌汁を飲んだ。「お義母さん、唇痛くないですか?」と聞くと 「何で?」と。私が「外で転んで、怪我をして腫れているの」と伝えると、 「あら、やだ、そんなこと無いわよ、 他所の人の話しでしょ〜おーホホ(^^)」と高らかに笑った‼️なんとまぁ、あっぱれ😃服も汚れていたが、「洗濯したばかりのを着ている」と。怪我したことを忘れたことも忘れている😁だから、 痛みや苦痛は感じていないようだった。 まぁ、いいか!あの時の義母の声と、笑顔はしっかり覚えている。まるで、コント劇場のようだ🤗思い出すたびに、笑え、心が和む。

お義母さん、大怪我しなくて良かった! もっと沢山、コント劇場で共演したかったなぁ🤗心を和ませてくれてありがとう❣️ あなたの心も和みますように‼️

今日も相変わらずでした❣️感謝です🤗

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現在VoiceはNo.311です

ssss