~あなたの心の安全地帯になれますように~
 

Voice.47~51を追加しました

<Voice 47 ~51>

〈Voice.47〉

「やばいよ、やばいよ〜😁」 看護専門学校の専任教員をしていた時のこと。学園祭の準備で、学生さん達が消化器官の模型を作成していた。とても良くできていた。胃の内壁、粘膜の色合い、全体の形などあまりにも素晴らしいので、感激してその思いを伝えた。具体的な言葉は覚えていない🤣すると、学生さん同士がニコニコと互いに顔(^^)を見合わせて、「先生が凄く褒めてくれたやばいよ、やばいよ〜」「めっちゃ、うれしくてやばいんだけど」と口々に言った。私は、不安になった。心の中で『やばいって、褒めたつもりなのに、どうしよう』みたいな思いが過ぎっていた。だけど、彼らは嬉しそう。『嬉しそうに やばいってなんダァ‼️😆』と心の中で叫んでたいたのを覚えている。勇気を出して学生さんに聞いた「やばいって、中か悪かったかなぁ?」と。すると学生さんは、「先生、違うの。そのやばいじゃなくて、嬉しすぎてどうして良いかわからないくらい、それがやばいの」と言うような説明をしてくれた。

とてもホッとして私まで嬉しくなった感覚を覚えている😌それから、その学生さん達と学内ですれ違う時などは、ニコニコしながら 「ヤバイよヤバイよ〜」が挨拶がわりになった。不思議だなぁ、その言葉で挨拶していた時は、何故か胸が高鳴るような感じで嬉しかった‼️今でも思い出すと胸が高鳴る感じがする😚「ヤバイよ〜❗️」かな。学生さんの名前は、忘れちゃった。あれから約15年くらい経つ。 今、近隣の短期大学生の学生さんが 我が家の愛犬ジュンをみると、「きゃー可愛い💕ヤバイよ〜ヤバイよ〜」と撫でてくれる。私も嬉しさ倍増で「ヤバイよ〜❣️」

学生さん、胸が高まるほっこりした思い出をありがとう!当時のままの貴女達でナースをしていて欲しい!と願っています😃 あなたも誰かの胸が高まる思い出の人になっているかもです!それは、素敵すぎてヤバイかな〜😘

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.48〉

「笑わないで聴いて・・」 「私、、可笑しいでしょう」

傾聴の中で、時折出会うVoice. そう、聴かせて頂いていると、笑えるような内容では無い。そして可笑しくもない。語られる内容は、その人が苦しんだり、そのことで貶されたり、恥ずかしい思い、悔しい、悲しい思いをされ、抱えている。割り切れない自分、クリアできない自分を責め、情けなく思いそして自己否定している。「笑わないで~」には 話すことにより、笑われて傷つくことから自分を守っているのだと感じる。そうしなくてはならないほど、傷つき、悩みながら生きてきた。そのことだけでもその人は尊いと私は思う。 「私、、可笑しいでしょう」も、その出来事や悩みや苦しみと向き合って、もがいてどうにもならず、そんな自分に対して何とも言えないくらい、歯痒さなどを感じながら生きていて、やはり笑われることでこれ以上傷つくのを回避するためだとに自ら「可笑しいでしょう」と先手を打っているように感じる。そのような中で向き合いながら生きてきたことが尊いと感じる。 「話したいだけど傷つきたくない、ちゃんと聴いてほしい」と言う心のVoiceが、声から吐息から、ボディから伝わってくる。勇気を出して、私に話してくださっている。お話ししてくださり、ありがとう。笑わないので、安心して話してくれたら嬉しいなぁ😌

この二つのVoiceは、その人達の強さや直向きさ、尊さに気づかせてくれる。

もし、あなたがこのVoiceと出会った時は暖かく、優しいブランケットのように その人の声を聴いてほしい。そして、あなたが逆の立場になった時は、あなたの思いを優しく暖かく包み込むように聴いてくれる人と出会えますように🍀

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

〈Voice.49〉

『ともかく 具体的に動いてごらん  具体的に動けば 具体的な答が  でるから』  この詩と出会い、だいぶ経つなぁ。 仕事や学習で、課題が山積みで混乱しそうな時、何かに迷い手がつけられない時にこの言葉を思い出し、その時に思いついた事から始める。すると、あら本当にその通りになる❗️不思議だなぁ。具体的な答や考え、方法などが出てくる。 この事を繰り返してきたら、習慣になったよ😄そして、その行動に対する『 先ずは、コレをやってみよう」と言う 思いが徐々に『コレをやってみればいいんだ!』と言う確信に変わった✌️ ありがたいなぁ。この詩のポストカードは、状況に応じて居場所が変わる。スケジュール手帳だったり、学習課題ノート、今は「分析.論考ノート」に挟んである。お守りみたいだ。😌迷い、悩み、混乱しそうな時に静かに確実にポンっと背中を押してくれるVoice😊この詩の言葉は、このように生きてきた人からしか生まれてこないと思う。先人の教えはありがたいなぁとつくづく思う。

皆さんの中にも、このように生きてきた方もいると思う。 これから、受験や検定試験、資格試験 シーズン。 あなたの周りに、焦っている人、混乱している、迷子になっている人がいたら、この詩を分かち合ってみるのも良いかもよ😉

相田みつをさん、あなたの言葉のおかげで豊かな人生を送れています。私もあなたのように、自分と大切な人々が心豊かに生きれるような言葉や声を紡ぎ出せるようになりたいです🍀

あなたとあなたの大切な人の背中を優しく押してくれる言葉や声にであえますように❣️ 今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.50〉

『あめゆじゅ とてちてけんじゃ  おらおらでひとりえぐも(Ora Orade Shitori egumo)』 これは宮澤賢治の詩歌「永訣の朝」の 言葉。この詩歌に出会ったのは確か 中学生の国語の授業だった。賢治の大切な妹、とし子が今日旅だってしまう悲しみ、とし子への思い、とし子の優しさなどを詩にこめている。意味は「雨雪をとってきてください。私は私で1人で行きます」 私は、この部分だけがとても印象的で 今日みたいな冷たい雨の日や雪賀舞う日は必ずこのフレーズが蘇る。天国と繋がっているような不思議な感覚になり、ふと寂しさや命の儚さに思いを馳せる。妹さんは、死を覚悟していた。 そして、冬の雨、雪の日は心の中で 「『あめゆじゅとてちてけんじゃ』だなぁ」と呟いている。理由は、わからない。そして、この詩歌が好きであること、このような思いでいることを誰にも伝えたことが無い。不思議なことに、20年位前、母が旅行で宮澤賢治記念館に行き「永訣の朝」の詩集を買ってきてくれた。何だかとても嬉しかった。他にもたくさんの詩歌があるが、今だに、私はこの「永訣の朝」に引き込まれる😊

出会った当初は、妹の様子を想像していたのを微かに覚えている。 今、読み返すと最愛の妹を失う悲しみと妹に対する愛情、そして宇宙、自然への畏敬の念と一体感を静かに感じることができる。 宮澤賢治といえば「雨にもマケズ」 が有名だなぁ。でも私は「あめゆじゅとてちてけんじゃ」。 冬の寒空の日に、天国に召された大切な人々を思いだしながら「あめゆじゅとてちてけんじゃ、、」そして私も静かに「おらおらで ひとりえぐも」と悟れるように生きたいなぁと願う。 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」は 静かに、語りかけてくれ、生命の儚さと大切さ、大切な人々を思い出させてくれるささやくようなVoice. あなたも心静かに何かに思いを馳せる詩歌と出会えますように。

皆さまシリーズ?Voiceは記念すべき50回目となりました✌️ 1人静かに盛り上がり😄喜んでいます。 皆さまがお読みくださっているおかげで、続けられます。ありがとうございます😊これからもよろしくお願いします❣️

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice 51〉

『私の睡眠かえせー❗️』

これは、当時の私の心中の叫び、いや 雄叫び⁉️ 義母の認知症が進行し、自分の家に居ても昼夜問わず「帰る帰る」とウロウロ。 あちらこちらの扉をあける。仏壇を見せても「これは、誰かが持ってきたんだ」と。私はフルタイムで働いていた。夫は仕事を休み、つきっきりだった。当時は介護休暇もなく、アリセプトも保険が適用されていなかった。誰かが働かないと生活できない。看護学校の専任教員は持ち帰りの仕事も多く、昼休みもろくに取れずブラック企業そのもの。寝不足と疲労が蓄積されていた。夜中に扉を開ける音にうんざりし「また!寝かせてよ。私の睡眠返せー!💢」と心の中で叫びながら台所に行くと、義母が棚や引き出しやら開けまくっていた。心の中で雄叫びと怒りがマックスになりかけた時、義母の手には、私の大好きな山崎の菓子パンが!栗とさつまクリームの秋限定の菓子パン、当時のマイブーム😆それを頂くのが唯一の癒しと楽しみだった。その菓子パンが、よりによって義母の手に!義母は、嬉しそうに、そして少しバツが悪そうに私を見た(嫁と認識されていない私)。その表情の可愛らしいこと!今でもはっきり覚えている。 私「それを食べたいの?」 義母「何にも食べていないから、えへへ(^^)」と可愛い💕 心中の雄叫びボルテージが下がるのを 感じた。その感覚、今でも覚えている。 「嘘です。お義母さん、貴女は仏壇のバナナ🍌3本を食べたあげくしらを切り、夕飯もしっかり食べましたよ」と言う事実があったが、忘れている!天晴れ! 勿論、このことは言わなかったよ。

真夜中の台所で、夫には内緒🤫で お茶を🍵入れ、菓子パンを仲良く半分こして頂きました😃穏やかなひと時でした。その後「帰る」と言う徘徊に お供したか、添い寝をしたかは忘れましたが、あの時の義母の可愛らしさは今でも鮮明に覚えている。 お義母さん、あの菓子パンを長らく食べていません。そのうち、一緒に食べましょう😊

何かと気ぜわしい年の瀬を迎えます。 あなたもホッコリする時間を過ごせますように🍵 今日も相変わらずでした‼️ 感謝です😊

 

Voice.52〉 『何で、自殺しちゃいけないの?』

傾聴ボランティアをしていると、時折この声に出会う。このように聞かれたら 皆さんはどう対応するかなぁ。最初の頃はとても戸惑い、「何かを応えなくては」と思いがあった。今は、違う。 無理に応える必要がないことに気づいた。そのお陰で、気が楽になり「あなたはどう思うの?」「私の考えが気になるの」とか「なぜ、そのような事を聞いてくるの?」と伝えられるようになった。 伝えたあとの相手のお話は、実に色々。 だけど、共通しているのは「自殺は良く無い事」と言う世間の見方等に疑問を 抱いている。だから、家族にも、友人とも自殺について話すことが難しいのだ。 そして、「よく無い事」と言う見方に 追い詰められて「自殺したいなんて、よく無いことだよね、自分はどうしようも無い」と自分を責める人もいる。 私は「良い、悪いじゃなくてその思いを聴かせて」と伝える。 「良い」「悪い」の二者択一ではなくて その思いや、自殺について話せる場や 人が必要だなぁと感じる。 だから「自殺予防月間」あるいは「自殺防止月間」と言うキャッチフレーズを目にすると違和感を覚える。「予防」「防止」に囚われすぎると、聴く側は、「予防しなきゃ」「防止しなきゃ」と言う思いに支配され、それがバイアスやバリアとなり相手の心の声が聴けなくなる場合がある。そして、家族や関わった人々は 「防止、予防できなかった」と自分を責める場合もある。 だから、私は「まずは、聴かせて」と 言う気持ちを大切にしている。相手に応えを示すことよりも、聴きながら一緒に 悩んだり、揺らいだり、考えたり、時には怒ったりしながらその時を共に過ごす。僅かな時間でも、共にいる😉 でも、世の中には、疑問や思いを発せずに、ボランティアや支援窓口に繋がらない人も沢山いると思う。

もし、皆さんの周囲でそのような声と出会ったら、肩の力を抜いて聴いて欲しい。カウンセラーじゃ無いから、専門家じゃ無いからと、重たい話しだからと 扉をしめるのではなく、まずは耳を傾けて欲しいなぁ。その小さな積み重ねを大切にしてほしいなぁ😌

電車の人身事故、芸能人の自殺も増えてきている。

あなたもあなたの思いを大切にしてくれる人と出会えますように。そして、あなたも誰かの大切な存在でありますように🍀 あなたの声、思いを聴かせてね。

今日も相変わらずです‼️ 感謝です🤗

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1月 1, 2025

Voice No.44~46を追加しました

〈Voice.44〉 「生きていてもしょうがない・・」

この声によく出会うようになった。 出会う度に、「どうしてそう思うのかな?」とか、「どうしたらいいのかな?」とか「そう、言いながら日々いきているじゃん」などの声が心中でつぶやいている。思いに耳を傾けると、そう言う人々の心中は、「誰かに必要とされたい」「何かの役に立ちたい」「生きたい」「俺なんか、、」との思いが渦巻いているように感じる。でも、どうにもならない。そのような人々に概ね共通しているのは、自分の病気や健康に目を背けていること。そのような人々を前に、無力という大きな壁が立ちはだかるのだ。人は誰かの為、自分の為、何かの為ということがあれば、つまり、生きるよすががあれば病気と向き合えるのだなぁとつくづく思う。私が出来ることは、次に会うことを約束すること。そうすると、次の時に待っていてくれる。その小さな点のような積み重ねがやがて時間の線となっていくのを感じる。「また、お話しを聴かせてくださいね」の一言。次に会えた時は、本当に嬉しい。何回か足を運び、話を伺い、漸く血圧を測らせてくれる。「待っていてくださりありがとう😊」の気持ちで一杯になる。でも、会えなくなった人々もいる。どうしているかは、わからないがいつも思いを馳せている。「生きていてもしょうがない」と 思う背景には、様々なライフヒストリーとライフストーリーが山積みになっている。お互いの人生の中で、あなたと私は 今、巡り会ったのだよね。それは、きっと何か意味があるのかもね。 「生きてもしょうがない」は、その人の 心中と人生に思いを馳せさせてくれて、 今、ここで共に生きていることを感じることができる意味深いVoice. 無力の壁を感じられることは、自分を 見つめさせてくれるチャンス。

そのようなチャンスをくださり、ありがとう。あなたは、私にとって必要な人です。また待っていてくださいね‼️

あなたも、あなたを待っていてくれる人と出会えますように。既にあなたはだれかの待ち人になっているかもです😊

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.45〉 「あんた誰⁉️」「はじめまして嫁の恵子です😊」

今は亡き義母、初めてお会いした時に 認知症になっているとわかった。当時、 なかなか、会わせて貰えなかった理由が その時に解った。義母は、お茶をいれてくれ「飲んで、つまんで。」と勧めてくれた。少したつと、また台所に行き、お茶をいれてきた。テーブルの上は湯呑み茶碗で一杯、そして「私は◯◯から嫁いできたの」と同じ話しを繰り返した。 それから、間も無く、徘徊で警察にお世話になっり、何故か食パンを隣家の門戸においたり。きづいたら、私は手をつないで徘徊のお供や色々やっていた😆 その度に「あんた誰⁉️」と。私は「はじめまして嫁の恵子です⁉️」と、すると「うちには、嫁はいない❗️」とそこだけはしっかりしていた🤣一年くらい、そのようなやりとりをしなかぁ。嫁と認識されていないので、嫁いびりは無かった👏ただ、急性期だったので、表情はきつく混乱しまくり。ありゃー!って感じだった😳ありがたいことに、私のことは、拒否せず受け入れてくれていた。途中から施設に入ったが、毎週の面会も穏やか迎えてくれた。しかし、息子もわからなくなり、当然私のことも嫁ではなく気のいい人と捉えてくれていたようだった。でも、施設の職員の方々や同じ認知症の方々にとても可愛がられていたから最後まで穏やかに笑顔で過ごせたようで感謝。 義母との思い出は、沢山ある😊これから、時折Voicepに登場する予定。義母は、認知症の人との関わり方を身をもって教えてくれ、私にかけがえの無い実践的、知的財産をくれた恩師のような人。

お義母さん、豊かな思い出、宝をありがとう。いつのまにか、貴女の大事な息子さんとは夫婦になっていましたよ😆 あなたも誰かの豊かな思い出、宝になっているかも。また、そのような出会いが ありますように🍀

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.46〉 「嘘でしょう、よその人の話しよね」

義母の認知症が発覚し、少し経った時、 ほんの束の間の間に、逃走?徘徊。行方不明になりました。警察から連絡があり 怪我をして病院で手当を受けているとのこと。たまたま、連絡先が書いてある何かを持っていたらしい。病院に駆けつけると、顔に結構な傷を負っていていた。 痛々しい、でも、本人はケロっとして いた。唇と目の上が腫れあがっていた。 家に帰り、食事の時に何ごとも無かったかのように味噌汁を飲んだ。「お義母さん、唇痛くないですか?」と聞くと 「何で?」と。私が「外で転んで、怪我をして腫れているの」と伝えると、 「あら、やだ、そんなこと無いわよ、 他所の人の話しでしょ〜おーホホ(^^)」と高らかに笑った‼️なんとまぁ、あっぱれ😃服も汚れていたが、「洗濯したばかりのを着ている」と。怪我したことを忘れたことも忘れている😁だから、 痛みや苦痛は感じていないようだった。 まぁ、いいか!あの時の義母の声と、笑顔はしっかり覚えている。まるで、コント劇場のようだ🤗思い出すたびに、笑え、心が和む。

お義母さん、大怪我しなくて良かった! もっと沢山、コント劇場で共演したかったなぁ🤗心を和ませてくれてありがとう❣️ あなたの心も和みますように‼️

今日も相変わらずでした❣️感謝です🤗

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現在VoiceはNo.311です

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12月 3, 2024

Voice.42~43を追加しました

〈Voice.42〉 「恥をかける大人でいたい」

これは、俳優吉川晃司の言葉。聞いた時に「かっけぇー!(カッコいい)」と感動した‼️吉川晃司のファンではないが、渋いなぁと思う。「恥をかける」って 難しいよなぁ。なるべく、恥をかかないように防衛戦をはったり、鎧を纏ったり 取り繕ったり😆とエネルギーを使うことがある。でも、この言葉に出会ってからそのような場面に遭遇すると、声となって頭の中をよぎるようになった。すると勇気が湧き、しかも楽しみながら? おばさん的ボケと図々しさもプラスされて恥ずかしいことも、大丈夫になりつつある。そんなふうに自分を開くと、あら 不思議!「実は、私も・・」とか周囲の人たちが何故か安堵したような雰囲気になる。そして、なんやら見えない壁が取り払われたようになる。そして、互いの 心の扉が少し開け、嬉しい気持ちになる。うん!よかよか👏 「恥をかける大人」は、謙虚さと、勇気とユーモアを私に教えてくれていて、そして人々との柔らかい優しい交流を促してくれる大切なVoice!

吉川晃司さま、素敵な贈り物をありがとうございます♪貴方のように渋い大人ではないですが、私なりにやっております。

あなたも、周囲の人々と柔らかい、優しい交流ができますように

🤗 今日も相変わらずでした‼️ 感謝です🤗

 

〈Voice.43〉 「ドキドキ、やるっきゃない!」

今日は、自分の心の声。修士論文提出日まで50日を切ってしまった!その事を 思うと動悸が出てきて、胃袋がキュッーとなる😣こう見えても小心者なのだ。一通り、書いたが見直すたびに、「これでいいのか⁈」とドキドキ、キュッーの 繰り返し。下痢や胃痛は昔から友達だが、今は大親友かな😙自分に「ここまでこれたのだから、大丈夫だよ」と言い聞かせるが説得力無し🤣でも、気の遠くなるような逐語録を作り、分析の長〜いトンネルと深〜い渦から這い出ることができ、少しの形になったのだから、大丈夫だよね。うん、うん🤗多くの人々のお力添えを頂きながらここまでこれた。だから最後までやらなきゃね!やるっきゃない!の繰り返し。これを提出したら、スタートラインに立てる。修論を書き上げることは、私にとって一大事! 今頃気づいたことは、調査、分析は大好き💕でも、論述するのは苦手で好きでないかもと言うこと😆 でも、50代半ばでこのような事に取り組めるのは幸せだなぁとも思います😊 更年期と下痢と胃痛の大親友と伴走しながら、おばさん院生はラストスパートを 頑張ります! 皆様、心の中で応援をよろしくお願い致します‼️

今日も相変わらずでした❗️ 感謝です🤗

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9月 15, 2024

VoiceNo.40~41を追加しました

<Voice.40〉「一緒に頑張ろうね」

この言葉は、高校卒業時に浪人生となった私に母が言ってくれた言葉だ。とても 落ち込んでいたし、当時の私は母がこのように言ったのを意外に感じたのを覚えている。自己肯定感が持てなかった、ダサい自分が惨めで、捻くれていたと思う。意外だったぶん、後からジワジワと嬉しさが込み上げてきた感覚を35年以上経った今も鮮明に覚えている。そして、一念発起して勉強し一年後には、受験した国公立の看護学校に全て合格できた。当時は、今と違い受験科目は5教科で苦手な数学、理科もあり、体力テストまであった。幼い頃から勉強についていけなかった私にとっては、当時は死にものぐるいという感覚で勉強した😆倍率も10倍以上だった。双子でもう1人は私大に現役合格しており、経済的にも大変だった中、浪人を許してくれ、励ましてくれた母は、きっと私に言ったことは忘れているかもしれない。母は自分にも言い聞かせていたのかもしれない。でも、あの時のあの母の言葉が私のその後の人生で困難に遭遇した時、それに立ち向かわせてくれる応援のVoiceとなり続けている。それは、35年以上経った今でも😊  その母の姿は、私に人々と「共に歩ませ頂く」という土台をつくらせてくれ、 人々と関わる原点となっている。 母さん、ありがとう。私も貴女のように 人々と一緒に伴走していきたいと日々 願い、あがいて😂ます! あなたも、あなたにエールを送ってくれる人と出会えますように🍀 今日も相変わらずでした❣️ 感謝です😊

 

〈Voice.41〉「役得だねぇ〜😃」

これは、昔患者さんから言われたこと。 個室に入院していた70歳女性、息子と思っていた50歳の男性は、実は夫だった😃当時の私は、驚き、心の中でサスペンス劇場の妄想をしていた。旦那さんが若いせいか、その患者Bさんも肌も綺麗で若々しい人だった。病気で介助が必要で、全身清拭をさせて頂いた時のことでした。Bさんのお胸当たりを拭いていたら、「兄さん、役得だねぇ〜」とにこやかに言いました。意味が分からずに 返答に困りました。するとBさんは 「近頃は、男の人の看護婦が増えたのね。貴方いいわね。私も含めて色々な女性と出会い、こういうことができるでしょう」と。あまりにも想定外の話しを されて困りました😅その時、初めて私は男性と認識されていることを知り、 戸惑っていたのかな。随分と返答に困りました。Bさんは、「照れちゃって、遠慮しなくていいのよ」みたいなことを言われ、笑って誤魔化していたのを覚えている😣まさか、「そうなんですよ!」なんて言えない、そんな余裕もなかった🤣その後Bさんがどうなったかなどは覚えていない。ご主人は、生きていれば、当時のBさんの年齢を過ぎている。今、このような場面に遭遇したら、どう対応するかなぁ。 ①「そう、思われるのですねー」 ②「ええ、ここだけの話しですが、実はいい役なんですよ!😙」 ③「やはり、Bさんが一番ですよ😝」 などと、Bさんの世界に一緒にいさせて 頂くかもしれない。 当時、認知症の患者さんは、男女をとわず私を男性と認識していた🙃 勿論、Bさんとの場面もその後、しっかりと教材化した。ただ、対話方法は未だに考える。 Bさん、ご期待に添えずごめんなさい🙏私は若い女性でした🥰色々と考える教材をくださり、ありがとうございました。可笑しいような、苦いような、でも 良い思い出です❣️

あなたも誰かの良い思い出となっているかもですよ🤗

今日も相変わらずでした‼️ 感謝です😊

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現在はVoice No. 288です

ssss

 
8月 17, 2024

Voice.38~39を追加しました

〈Voice.38〉 「アカデミックで、ケミカルで〜」

これは、患者さんOさんが言ったこと。 思いだすと「ぷっ(^^)」と吹き出してしまう。 Oさんは、個室に入院されていた。 息子夫婦が仲良く、お孫さんを連れてよく面会に来ていた。病室でOさんが 息子に向かって、私のことを 「この看護婦さんは、すごいのだよ。 アカデミックでケミカルで、そして ビューティフルなんだよ。見習いなさい」と‼️息子さんは優しくにこやかに笑って私を見た。 平「Oさん、ありがとうございます。 アカデミックでケミカルで、おまけにビューティフルなんて、お褒めくださり 嬉しいです😊」と答えると、なんと Oさんは、「息子よ、聞いたか!なんと この人は、語学まで堪能だ!アカデミック、ケミカル、ビューティフルなど次々出てくる❗️素晴らしい‼️」と。 息子さんは、笑いをこらえながら 「お父さんの言う通りですね」と。 お嫁さんもにこやか。そのあと、皆で 笑いました。とても穏やかで、ユーモアでホッコリした空気でした。30年近く経った今でもジンワリ優しい思い出です🤗 殺伐とした時など、思い出し笑いをして 心が和みます。

Oさん、いつまでホッコリと暖かさで 包んでくださり、ありがとうございます。

私は、その後もアカデミックでケミカルでビューティフルに生きております ❓😂と言いたいですが・・・💦

あなたも誰かの温かい、ホッコリした 思い出の人かもしれません。 そして、温かいホッコリした出来事、人に出会えますように❣️

今日も相変わらずでした❣️ 感謝です🤗

〈Voice. 37〉「男たるもの・・・」

当時、認知症の患者さん(まだ痴呆と言われていた時代)に言われた言葉。思い出すたびに「ふふっ😊」となります。 ある夜勤の時、そのA患者さんは目をランランとさせ、血相を変えてナースステーションに「おいっ!おいっ!」といいながら小走りできました。

平「どうしたのですか?」 Aさん「大変じゃ、敵が侵入してきとる!」と興奮。 平「敵ですか?」 Aさん「そうだ!鬼畜米兵だ!お前、敵の様子を見てこい!」と私を指差して命令した。隣で一緒に聞いていた後輩看護師が「私がみてきますね」と言うと、 Aさんはなんと私に次のように言った。 Aさん「貴様!男たるもの、女に向かわせるとは何ごとだ!日本男子の恥!」と 怒鳴りました。そこで 平(敬礼をして)「はっ!確認してまいります!」と応え、懐中電灯を持ちAさんが指示した場所にいった。(白衣姿で😁) Aさんのベッドだった。ベッドの下を確認、「大佐、敵はおりません!」 Aさん「バカモン!、潜って確認しろ!」 平(えっー😂)「はい!確認します」 と、這うようにして、ベッド下に潜り込んだ。 Aさん「しっかり、見ろ!潜んでいるかもしれないぞ!」 平(敬礼して)「大佐!異常ありません、敵は大佐に恐れ慄いて逃げたとおもわれます!安心してお休みください。 私が日本男子の名に恥じぬよう、見張っております!」 Aさん「頼んだぞ」とベッドに入り朝までぐっすり😊

翌朝は、勿論、全く覚えておらず物腰がやわらかいAさんで「おはようございます」と。 当時は、まだ認知症の人々への対応については今ほど明確にだされて無かった。 この体験と思い出は、その後、教員となった私の教材となり、対応の意味づけを するプロセスでとても役立ちました。 Aさんには、私が日本男子🇯🇵と映ったのです😅よかよか(^^) 患者さんから教材と言う宝を頂きました。

Aさんホッコリする思い出と、宝物をありがとうございました。貴方は、今でも 私の中で鮮やかに生き続けています💕

あなたもホッコリする出来事と出会え あなたが、誰かかのホッコリになりますように😍 皆様、素敵な一日でありますように❗️ 今日も相変わらずです!感謝です🤗

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現在VoiceはNo. 282 を掲載しています

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