Voice 93~101を追加しました
〈Voice.93〉
『ホーッ・ホケ・キ・ヨ』
春だね🌸鶯も雛が生まれたのかな。
愛犬と散歩🚶♀️中で初々しい声が聞こえたよ!『ホケ・キ・ヨ』∧( ‘Θ’ )∧姿は見えないが心の中で「きゃー可愛い😍」と叫ぶ。口を開けて、「お母さん鳥を待っているのかな、鳴き方も教わるのかな?」など思い巡らしながら、満開の桜、枝垂れ桜、水仙の花々を見ながら歩いた。愛犬は、全く興味なし😆。細やかな幸せな春のひと時。ありがたい。
鶯の鳴き声に、ふと人生の四季を思う。中高年、老年期は?「人生の秋」と誰かが言っていたなぁ。身体的、精神的な変化や衰えと共に、社会的な立ち位置の変化にも出会う。そして、それはその人其々の霊的痛みを生み出すこともある。
これらの痛みに、これまで積み重ねてきた経験、知恵を駆使して様々な患難に向き合うのも人生の四季のイベントになる。中高年は「ミッドライフ・クライシス」などとも言われている。その先は、お先真っ暗な暗雲立ち込める寒い厳しい冬が待っているのだろうか?いや❗️そうばかりとは限らないよね😌一つ一つのライフイベントにその人なりに丁寧に向き合うことで、秋の豊かな実に出会えるよね。その豊かさは、細やかなものかもしれない。そして、それは冬の厳しさを少し和らげ、やがて春を迎えることに繋がるかな🍀。春模様も人それぞれ、迎える時期も、迎え方も。春爛漫のように希望、喜びに満ちた春、悲しみや苦しみの中に暖かく柔らかい光を見出す春、これまでとあまり変わらない春。不安と期待が入り混じる新一年生のような春。色々な春があるように、人生の四季の彩りはその人なりのライフストーリーを紡いでいくのかな。
いくつになっても、『ホケ・キ・ヨ』のように初々しく😄初心を忘れずにいたいなぁ。そう、自分なりの春を大切にしたい。マイフィットした言葉は、綾小路きみまろさんの「中高年、登りきってもいないのに下り坂」😆。これはいい。
別に登り切らなくても良いし、下り坂を味わうのもよし❣️
『ホケ・キ・ヨ』の鶯ちゃん、希望の声をありがとう😊。健やかに巣立ってね。
あなたにも、優しい春がおとずれ、互いの人生の四季を大切にする人々と巡り会えますように。
皆様、花冷えかな。心も身体も暖かくお過ごしくださいますように🌹
今日も相変わらずなはずです❗️感謝です🤗
〈Voice. 94〉『ゆっくり、ゆっくり』
幼い頃、母が「この絵本は、まるで恵子のことを書いてあるのよ😊」と
いいながら絵本を差し出した。タイトルは「ゆっくりくまさん」だったと思う。クマさんの一つ一つの行動の前に「ゆっくりゆっくり」と書いてあったなぁ☺️。
「ゆっくりゆっくり起き上がりました」「ゆっくりゆっくりと木の実をとりました」などなど。母はその文を読む度ににっこりして「ねっ、あなたみたいでしょ。ゆっくりゆっくり、可笑しいね。」と。子どもながらに「ゆっくりでいいんだ」と何だか嬉しくて、ホンワカした気持ちになったのを今でも覚えているよ👌。だけど、その幸せ気分は、時々どこかに消え失せた🤣。そう、母親の定番の言葉?常套句「早くしなさい💢」と言われる時は、殺気だっていた母の影に消え失せていたなぁ💦。幼い頃から、身体も弱く周りの子どもと同じペースで行動が出来ず、集団登校班と別に登校することもあった。集団行動の遠足や運動会、いつも「待って、待って💦」と言う感じ。でも、焦る時ほど、自然に自分自身に「焦らず、ゆっくりゆっくり」とおまじないのように心の中で唱えていた😊。「ゆっくりクマさん、大好き💕」と。看護学生時代の実習での集団行動、ナースになってからも周囲のペースについていけない感が満載の日々。でも何故か、外科系病棟の勤務が長かった⁉️。何か支度をする時は、もう大変❗️。そして、人生半世紀以上過ぎた今‼️相変わらず何かあると「ゆっくりゆっくり😃」と新たな言葉「焦らず、だけど急いで!」と言い聞かせているよ。きっと、一生「ゆっくりゆっくり」と心の中で唱えているかもね😅。
お母さん、ゆっくりクマさん、ありがとう。あなた方のおかげでゆっくりの自分を肯定できて、周囲の人々に恵まれ、それなりに生活できています🌹
「ゆっくりゆっくり」は、心を落ち着かせ、ホンワカさせてくれる大切なVoice.
あなたもこんなご時世だからこそ、時には、「ゆっくりゆっくり」としてみてね😀。違う景色を味わえたり、自分を静かに見つめられる柔らかな優しい時を過ごせますように。
今日も相変わらずでした‼️感謝です🤗
〈Voice.95〉『根っ子さえ残っていれば大丈夫❗️』
花を育てるのは好きだけど、撫子の花は相性が悪いのか、毎年上手くいかなかった。山谷のとある公園で生活しているDさんは、テント前に色々な花を育てていた。撫子の花もね。どうしたら、上手く育つのかを聞いたら、「枯れても、時折水をあげればいい。根っ子さえ残っていれば大丈夫!また咲くから!」と😊。「よっしゃ!」と思い、昨年に新たな撫子ちゃんを迎えいれた。枯れたら葉を切り取り、水をあげた。なんと!新たな花芽が誕生❣️もうすぐ咲きそうだよ✌️
Dさんは、「絶対に人には迷惑をかけない!」と言う強い信念を貫き通しながら公園で生活している。だから、具合が悪い時は、テントから絶対に顔を出さない。血圧測定の許可がおりたのも、出会って数ヶ月後だったなぁ。Dさんなりに野宿を楽しんでいる部分もある。時には涙を浮かべながら、ご家族の話をしてくれた。身体状況は、決してよくないが、信念を貫いている。最近、思うのは、『根っ子さえ・・・』と言う意味は私達人間のことを指しているかなぁ。🤔そして、Dさん自身の状況をも意味しているのかな。『根っ子』はDさんの信念、そこからのエネルギーで身体を保っているのかなぁ❓。なんだか『俺は大丈夫』と言うメッセージにも感じる。Dさんが体調を崩すと花🌼も元気がない感じがする。そして、『お前も根っ子をちゃんとしなさいよ。そうすれば大丈夫』と諭してくれているようだなぁ😊。私の根っ子は何かなぁ。もう少し、根っ子を探す旅をしたいなぁ。
Dさん、ありがとう。撫子ちゃんが咲いたらみてね。Dさんの根っ子を絶やさないようにしてね。
あなたも『根っ子があれは、大丈夫!』きっと素敵な花を咲かせることができるよ❣️『根っ子』が見つからない場合は、見つける旅路を味わえると良いね😊
今日も相変わらずでした‼️感謝です😊
〈Voice.96〉『愛は感情をこえた意志ですよ』
どうしても、関わりたく無い人がいたり、家に帰りたく無い時がある🤣。でも、仕事上、役割り上、関わらなければならない。家に帰らなければならない。そんな気持ちを抱いている自分自身が嫌になる🥺。そんな、葛藤や自己嫌悪感を親友Kさんに打ち明けた。Kさんは、私の気持ちを受け止めくれ、そして「愛情深い人だよね。嫌々ながらも避けていないのだから、偉いですよ。正に愛ですね」と言った。私は「?、愛?嫌いなのに」ととても意外に感じた🙄。Kさんは、「好き、嫌い」は感情そのもの。だけど「愛は感情をこえた意志」と話てくれた。そして、私に「嫌いと言う感情を超えて、その人に関わる。家に帰る。それは、奥深い所に愛があるからできることだと思う。貴女自身が気づいていないかもだけど、愛だよね」と。そして、相手に対して抱いた感情を否定する必要もなければ、自分を責めなくてよいと、静かに話してくれた。とても救われた思いになった🍀。イエス様だって、十字架形になるのは本当は恐ろしくて嫌だった。でもその感情を超えて私達の罪を贖うために身を投げ出された。私は「愛は痛みを伴う」とずっと思い続けている。それも、良く考えると「感情を超えていること」だとKさんの話の後に気づいた。そう、だってその人の為なら心を鬼にすることもある、別離を選択することもある。恨まれ役、憎まれ役を引き受けることもある。これらのことは、「嫌だ☹️」と言う感情を超え、強い意志によりなされる。深い、そして痛い、だけど簡単に言葉で表現し難い、なんとも言えない『愛』なんだよね。そう、私達は皆、「愛」をお互いにgive and take しながら暮らしている😌。
今も、関わりたく無い、嫌な人と関わっている。その人に必要なケアを日々考えながら、それはとても困難なこと😣。そして、我が家は「家内元気で留守がいい!😄」模様。私は「家内」では無く、「家外」によばれるに相応しい😅。帰りたくても、帰れない日もある。でも、そんな自分を褒めてあげようかな😀。
「主よ、人は人であるという理由だけで、どんな人も愛するために私の心をお望みでしたら、私の心をおつかいください」これは、毎日祈っているマザーテレサの祈り。祈る度に最も難しいことだと思う。だからこそ、日々祈っている。
『愛は感情を超えた意志ですよ』は、自分の感情を否定せずに受け止め、お互いの深い愛情に思いを馳せる大切なVoice.Kさん、いつもありがとう。
あなたも自分の湧き出る多様な感情に
温かい眼差しを向け、お互いの深い愛情に気づけますように。
「晴明」、一年の中で最も清らかで爽やで、天地万物が清らかな明るさに輝くこの季節。心地よい柔らかな風と眩しい新芽、陽だまりが皆さんを包み癒やしてくいますように🌱
今日も相変わらずなはずです❣️感謝です🤗
〈Voice.97〉
『いつもと変わらなかったよ』
ある人が何か事件を起こした後などに周囲の人々が異口同音に言うこと。例えば、強盗、殺人事件の犯人が逮捕された後や人が自殺した後などにこの言葉を耳にする。看護において、対象の人が『いつもと変わらない』と感じるのはとても大切なこと。つまり、看護師として『いつものその人』を良く観察して、把握しているからこそ、このように判断できる😊。その人の-食欲は、便通は、性格は、こだわりは、身だしなみは?お話しのされ方、家族との関係性は・・・。あげればきりがない。でも、人は他者に対して100%を曝け出している訳ではないなぁ🤫つまり、見えていない部分もその人にとっては『いつものその人』なんだよね。 事件や自殺の後に『いつもと変わらなかった』と、そこをとても意外なことのようにコメントされるが、周囲の人が知らない『いつものその人』がいるよなぁ。私達は、他者のことを実は殆どしらないかもしれないよ。そして、犯人や自殺をした人が『いつもと変わらなかった』と言う立ち振る舞いは、誰にでもあるよね。日常で、凄く悩んでいても「周囲に心配かけたくない」と思えば、いつもと同じように振る舞うよね。何か、バレたらまずいことがあれば、平静を装うこともあるよね。だから、周囲の目には『いつもと変わらない』と映る。感情労働の一つである表層演技を人は、日常の中で無意識にあるいは意識的に多様な場面でしている。だから、『いつもと変わらない』と感じた時ほど、さりげなく注意深く観察し、見守ることを大切にしたいなぁ。そうすることで、小さな変化に気づけ、その人の苦しみや悲しみ、闇の部分に微かな光を灯す事ができたらいいなぁ。
『いつもと変わらなかった』は、自分と相手の自己開示の程度を見つめ、互いをより知るための契機になり、「自分は知らない」と謙虚にさせてくれる大切なVoice.
色々な面をもつ『いつもと変わらない』あなたを見守ってくれる人と巡りあえますように。
今日も相変わらずでした❗️感謝です😊
〈Voice.98 〉『節制するぞぉ💪』
これは、毎年、四旬節の期間、自分に言い聞かせて課しているVoice.昨年はチョコレートを節制した。今年は、肉類(ハム、ベーコンなども含む)とスィーツ全般を節制した。とはいえ、胃腸が弱いので、普段から少食、粗食なので、お酒は飲めないし、大好きだったコーヒーも飲めなくなったので節制するものが、あまり無い😀。なので、食事にプラスして、①不平不満を言わない②悪口を言わないを節制に加えて、約40日間を過ごした。最初は、きつかったなぁ。朝食のハムエッグは、エッグだけ、ランチのサンドイッチもコロッケ、鳥の照り焼き入りはダメ😅。少ししか頂かない、チョコレートなども、疲れた時は食べたくなったなぁ😂。ただ、「節制する」と言えることは、その分贅沢でもあると痛感したよ。だって、節制するだけの食べ物が日本には沢山あると言うことだよね!さて、節制の結果は如何に⁉️😁
①牛肉入りコロッケ1つ、間違えて食べてしまった😆
②お饅頭(小)、カステラ1切れいずれもお土産は美味しく頂きました!
③素敵な方とのティータイムで、濃厚な上品なプリンも味わいました❗️
☆②、③は臨機応変&柔軟な対応✌️
④不平不満と悪口は2〜3回言ってしまいました。我慢出来なかったよ😂。
期間は終了したけど、反動で爆喰いすることもないよ😄。そして、節制しながらも仕事や活動はいつも通りできたことに感謝‼️。
節制期間は、普段の足りていることや新たな食品に目を向けること、自分の精神的な傾向を知り見つめることができたよ。
『節制するぞぉ💪』は、普段の満ち足りた生活を再認識し、感謝の気持ちを深める大切な実践とVoice.
これは、私の実践なので、あなたは好きなのものを存分に味わい、幸せ気分を満喫してほしいなぁ❣️
今日も相変わらずでした❗️感謝です🤗
〈Voice.99〉
『どうせ、あなたには、わからないでしょう』
私は、このように言う人々とわりとよく出会う。その人達の背景は様々だ。リストラ、就職試験に何度も落ちる。障害に対する差別、家庭内不和、いじめ、孤独など挙げるときりがない。中には、凄い怒りの感情と不満を顕にし、攻めてくる人達もいる。『どうせ〜わからないでしょう』と何度も言われ、やりきれない思いになる。頷けば、「簡単に頷くな」と言われ、「そうだったのですね」と言えば「あんたに、何がわかる。」、黙って聴いていると「何で、何も言ってくれないの」となる。そうなると、私の心は「わかるわけないじゃん。じゃあ、あなたは、今の私の状況、わかるの?」と言いたくなる。相手から向けられた怒りや悲しみのパワーは、私を取り囲むように残り、後に引きずる。あなたがこのような人と出会ったらどうするかなぁ😌。
ある日、あまりにも大きな怒りとともに攻撃的に言われ続けたので「あなたの置かれている状況はわからない。私に分かるのは、今そのことであなたが、とっても怒っていること。凄い、怒りが伝わってきて私はつらい。」と返した。するとその人は、「そうなんだよ‼️やっとわかってくれた。怒っているんだよ」と言われた。そして、「怒ってごめんね」と言われた。相手の急な変化に、私の方が驚いた😳。「どうして?」と、その後内省を続けきづいた。相手の人は、「事柄」よりも、「思い、感情」をわかって欲しかったのだなぁ。様々な「事柄」により、湧き起こる怒り、やりきれなさ、悲しさなどの気持ちを受け取って欲しかったのだなぁと。
この気づきに至るまで、随分長い時間と精神的労力を費やした気がするなぁ😔
でも、このこと既に授業で学んでいたんだよね。実は⁉️「あー、あの時、先生が言っていたのは、、皆んなと話しあったのは、、こーゆーことだったのか‼️」😊。
私に怒りや様々な感情をぶつけた人々、なかなか、思いを受け取れずごめんなさい🙏。私も随分悩みましたよ。私は、そのような感情を受けることに対しては、プロではないの。攻められたり、怒られることに対して、「プロだから平静に受け取る」という考えはないの。だって、私もあなたと同じ、感情を持つ人間だもの。いきなり、怒りをぶつけられつづけるのは、しんどいよ😂。でも、おかげで大切なことに気づかせて頂きました。ありがとう。再会できたときは、きっと思いを受け取れるかなぁ。そして、いつか、お互いの思い、感情を受け取り合うことができたらいいなぁ。
そして、「相手の状況を理解できることはほぼ無い」という前提も忘れないでいたい。だって、同じ体験はできない。なまじ「理解できる」と思うのは、リスキーなことだと思うよ
『どうせ、あなたには、わからないでしょう』は、相手の多様な感情が沢山、込められいて、その思いを共有するきっかけとなる鍵となるVoice🔑
あなたもあなたの思いを受け取ってくれる人と巡りあえますように☺️
皆様にとって素敵な週末になりますように。
今日も相変わらずなはずです‼️感謝です🤗
〈Voice.100〉
『男の恵子はいらない‼️💢』
この言葉は、私にとって強烈な思い出と身体が震えるような、目が覚めるような
気づきをくれた。〈Voice〉が100まで続いたらその記念にと温めておいたの😊。
20年以上前、ある夜勤の出来事。精神疾患、脳梗塞、認知症(当時は痴呆)の84歳M子さんに言われた言葉。M子さんの病室を訪ねると、「あなた、お名前は?」と聞かれ、苗字を答えたが下の名前を聞かれ「恵子です」と答えた。すると、私の手を取り、ほおづりしながら「私のお母さーん」と何度も言われた。当時、30代の私、お母さんである訳が無い😅。でもM子さんは、本気だった。「お母さーん、M子と一緒に寝てー」と何度も言い、手を離さない。M子さんは、興奮すると大声を出す、泣き叫ぶ、大変な人だった。山ほど、仕事があるのに、手を話してくれない😂。同僚が様子を見にきてくれたが、どうにもならず、「急がば回れ」で、少しだけ添い寝をすることになった。ベッドから転落しないように、床にシート、その上に布団を敷いていた。食べ物のカス、荷物などもあり消して綺麗とは言えない布団。しかも、オシッコ臭い💦。他の患者さんに迷惑をかけず、平和な夜勤のため!M子さんの安心のため!意を決して、息を止めて布団に入り、M子さんの背中を撫でながら添い寝をした。「私のお母さーん」といいながら、寝息を立て始めた✌️。そっと布団から出ようとした時、パチっと目をあけたM子さん。内心、「しまった💦」。凄い形相で、私を睨み「あんた、だれっ⁉️💢」と。私は、「えっ?」と思いながら、「お母さんの恵子ですよ。」と言ったとたん、病棟中に響き渡るような大声で『男の恵子はいらないっ‼️💢」と言いながら、バックをとり、私を叩いた。さけびながら、叩き続けた。「私を犯したわねー‼️」とまぁ凄い勢いで、こちらは何が起きたのかさっぱりわからなかったなぁ。同僚と看護助手さんが走ってきた。私の両脇を抱えて、廊下に引っ張り出してくれた。M子さんは、まだ「あいつが、私を、、」と泣き叫んでいた。同僚と看護助手さんはM子さんに「もう、大丈夫!逮捕したから」と言いながら、なだめていた。叩かれた痛み、匂いの感覚はまだ鮮明に覚えている。私は、暴行犯になった。その後、ずっとこのことを引きずっていた。惨めだったし、やりきれなかった。「何故、M子さんは、、?」「臭い布団に入ったのは、何だったの😭」と何度も思い返していた。 時は流れ、看護教員になり授業をしていたある日のこと、「認知症の人は、過去の記憶の中で生きている。そして、体験したことを忘れ、忘れたこと自体を忘れている場合が多いのよ、だからその人の世界観を大事にしてほしいの」と説明していたそのとき、「あっ!M子さんもそうだったんだ!」と降って沸いたように思い出した!そう、M子さんは、84歳だか、「一緒に寝て」と言った時は、子どもの頃を生きていた。数分後は、乙女時代を生きていたのかも!だから、私はお母さんではなく、布団に入った暴行犯になってしまったのだ。私がスウィッチの切り替えができておらず、お母さんのままでいたから、あの展開になったのだと気づいた。身体が震えたことも覚えている。出来事から10年近く経過していた🙃。しかも、何度かこの授業をしており、M子さんの話題も伝えていたのに、合点がいくまで長〜い時間がかかったなぁ😅。だいたい、「恵子」と言う名前の男性はいるのかしら⁉️。
M子さん、認知症の人の原則について身をもって教えてくださりありがとうございました!腑に落ちるまで、随分長〜い時間を要しました😆。でも、私があの時、スウィッチを切り替えられても、「あんた誰💢」と言う投げかけに、何と答えていいか未だにわからないです😅。
あれから20年以上が経った今、訪問看護で認知症のお婆さまが私の手を握り嬉しそうに「男の人?😊」と。否定はしないよ😀。
『男の恵子はいらない』は、私のナース、教員、人としての人生の生きた教材となった貴重なVoice!
昨年、9/21から〈Voice〉を投稿し始めて100まで続けられたのが夢みたいです‼️皆様のおかげです。お読みくださり、リアクション、コメントをくださりありがとうございます❣️Voiceは、沢山の人々との出会い、関わりから生まれています。出会い、関わってくださる方々に感謝しています。まだまだ、続くかなぁ。これからもよろしくお願いします。
あなたにも豊かな出会いが、沢山ありますように❣️
今日も相変わらずでした❗️感謝です🤗
〈Voice.101〉『大切なものは目に見えない』
このような言葉や声は今までも何度か見聞きしたなぁ。でも、今日はとても心に響いた。人の気持ちや、人知れずの陰ながらの行動や努力も目に見えない事が多いなぁ。そして、失った大切な人の存在、神様も目に見えない。目に見えないからこそ、感じることができるのかもしれないし、気づくことができるのかもね😊。日常の中で人々が向けてくれている目に見えない思いやり、配慮、支えをどの位感じられて、気づいているだろうか?。それらに気づくには、想像力と想像力、好奇心、探究心、多様な感情と感覚、感謝の気持ちなどを持ち合わせること、自己を内省すること等が必要だなぁと。
大好きな真っ赤なトマト🍅、作った人の思い、努力、労力は私には見えない。でも、それらに思いを馳せながら頂くと美味しさが増して、嬉しい😊。
人は、目に見えないものを信じ続けることは難しい。私の場合は、イエス様。
でも、不思議、今はちゃんと信じ続けている✌️。世の中、可視化、便利さが加速している。この加速の中にも、私には見えない多くの人々の汗、努力、奉仕、試行錯誤の積み重ねがあるよなぁと感じられる。このような時代だからこそ、目に見えないだけど大切なことに沢山気づいていきたい❣️。
キラキラ輝く、若葉、新芽、萌ゆるような、様々な緑、変わらずに咲いてくれる花々。目に映る美しい物にも、目に見えない大切な事、人が織りなすストーリーがあるのかな。そこに思いを馳せていきたい🌿🍀
あなたの大切な人が、あなたの内にある、大切なの思いに気づいてくれますように。お互いの目に見えない大切なものに思いを馳せ、ささやかな安らぎと平和が広がりますように🌱
このVoiceの引用文↓
「心でみなくちゃ、正しいものを見ることはできない。大切なものは目に見えないんだ。…君がそのバラのためにずいぶんと時間を使ったから、そのバラは君にとって、そんなに大切なものになったんだよ🌹」〜サン・テグジュベリ〜
今日も相変わらずでした‼️感謝です🤗
ssss

